スピンオフ1.【茜色の通学路】

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「本当のことを言いなさいよ! 隼人とは本当に幼なじみってだけなの?」  沙耶香がさらに麻衣子に詰め寄る。 麻衣子の気持ちを正直に話したとしても誤魔化したとしても、これはどう言った場合でも火に油を注ぐ真似にしかならない。 「隼人と私は幼なじみで、山崎さんが心配するようなことはないよ」 「私が言いたいのは、もう隼人に近付かないでほしいの! 隼人は私の彼氏なのよ。あんたには渡さないから!」 沙耶香が両手で麻衣子を突き飛ばした。麻衣子は地面に手をつき、擦りむいた膝の痛みに顔をしかめる。 小学生の頃からこんな場面は何度もあった。隼人のことが好きな女子に妬まれて意地悪されたこともある。 (なんでよ……いつもいつもなんで私がこんな目に遭わなくちゃいけないの?) こうなったのはすべて隼人のせいだ。 (あの女たらしインテリ悪の帝王の隼人のせいだ! 隼人のバカ野郎ー!)  地面を踏む足音が近付いてくる。顔を伏せる麻衣子の目の前に男物のスニーカーが見えた。 『ほんとアホトロだよなぁ。こんな簡単に突き飛ばされて。お前はそんなにか弱い女だったか?』 憎たらしく悪態をつくその声に安堵してしまう。顔を上げると隼人と渡辺がこちらを見下ろしていた。 隼人が身をかがめて麻衣子の身体を支えて立ち上がらせる。彼はそのまま盾になるように麻衣子と沙耶香の間に立った。隼人の広い背中が頼もしく感じる。 『沙耶香、別れよう』  隼人の言葉に沙耶香だけでなく麻衣子も驚き、麻衣子は隣にいる渡辺と目を合わせた。渡辺は平然として口元を上げている。 渡辺はこの展開を予想していたのかもしれない。彼は麻衣子の頭をポンポンと撫でた。 彼のその仕草は“隼人に任せておけば大丈夫”と言っている気がした。 それは麻衣子と渡辺が隼人に感じている絶対的な信頼感。  隼人に別れを告げられた沙耶香は泣きそうな顔をしている。彼女の表情に麻衣子も少しだけ胸が締め付けられた。 「……なんで?」 『お前と付き合うことで麻衣子と話せなくなるのが嫌だから』 「私よりこの女が大事なの?」 『どっちが大事とかじゃない。これは俺の生き方の問題。沙耶香からすれば麻衣子の存在に悩まされて嫌なのもわかる。でもそれが許せないなら俺から離れろよ。麻衣子は俺の幼なじみだ。麻衣子と話せなくなるくらいなら俺はお前と別れる』 沙耶香が隼人の頬を打つ。痛々しい音が夕暮れの裏庭に響き渡った。 「それって私よりこの女が大事って言ってるようなものじゃない! 隼人のバカ!」  沙耶香は泣き叫びながら走り去った。嵐が去った後の静寂が残された三人を包む。 「追いかけなくていいの?」 『いいんだよ。しかし痛ってぇなぁ』 憮然として頬をさする隼人の肩に笑顔の渡辺が腕を回した。 『いやぁ修羅場だったなぁ。女は怖いねぇ』 『亮、お前なんでそんなに楽しそうなんだよ』 『隼人がパシーンと平手打ちされるシーンを見れたから? 全国の女子の皆さーん、こんなろくでなしはどうぞどうぞ煮るなり焼くなり叩くなりしちゃってくださーい』 『アホ』 隼人と渡辺のこんなに楽しそうな顔を麻衣子は久々に見た気がする。 『麻衣子。ごめんな』 擦りむいて赤くなる麻衣子の膝を見た隼人が呟いた。珍しく怒られた犬のようにしょんぼりとしている隼人がおかしくて、麻衣子と渡辺は笑い出した。 「いいよ。隼人の女の揉め事に巻き込まれるのは慣れてるから。でもひとつお願い聞いてくれる?」 『なんだよ?』 「三人で一緒に帰ろっ」 麻衣子のお願い事に隼人と渡辺は苦笑いして頷いた。  校門を出て赤い夕陽に向けて三人で歩く。 「三人で帰るの久しぶりだね」 前方を歩く男二人組は身長も肩幅も小学生の頃より大きくなっていて彼らから伸びる影もあの頃よりも大きい。 『そうか?』 渡辺が振り返る。隼人も足を止めた。 「そうだよー。もしかしたら小学生以来かも!」  麻衣子は男二人組の間に入って両側から二人の腕を片腕ずつ組んだ。ここが幼稚園時代からの麻衣子の指定席。 背後に渡辺、麻衣子、隼人の影が並んだ。 『さすがに小学生以来ってことはないだろ』 『何ニヤついてんだよ。気持ち悪っ』 渡辺と隼人は呆れた顔で笑っていた。 「だって嬉しいんだもん」  隼人が沙耶香から自分を庇ってくれたことも、また三人で帰り道を歩けることも、二人が自分と歩幅を合わせて歩いてくれてることも、今この瞬間が嬉しかった。 「隼人も亮もありがとうね」 『俺は何もしてねーよ。隼人を呼びに行っただけ』 『俺も自分の主張をしたまでだ』 素直じゃない男達。そんな二人の素っ気なさにも優しさが込められていると麻衣子は知っている。 もしかしたらこれからも隼人の恋人にはなれないかもしれない。だけど隼人の隣には居させてもらえる。それだけで満足だった。  茜色の空の下。三人並んだ影法師は同じ歩幅で同じ方向を向いて歩いていく。  この先の未来に何が待っているのかなんて何も知らないまま 永遠はきっとどこかにあるんだと淡い期待を抱いて 当たり前に繰り返される日々を 当たり前に生きているだけだった。 それは麻衣子達がまだ子供だった証。  やがて訪れる出会いもそこに待ち受けている未来も、今はまだ知らなくてもいいことだから。 早河シリーズスピンオフ作品 1 1999年 加藤麻衣子 中学三年の物語   ーENDー →あとがきへ
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