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放課後。私は音楽準備室にいた。吹奏楽部である私は、皆が帰った後で顧問の先生に『個人練習をしたい』と嘘をついて、鍵を貸してもらったのだ。
備え付けのソファに座りながら、ソワソワと携帯を見返してみる。
――放課後、音楽準備室へ来て下さい。
今日の昼休みに送った、今までとは少しテイストの違う文章。先生からは、『分かった』と短く返事が返ってきただけ。しばらくここで待っているけど、まだ来る気配を見せない。
「先生……来てくれるかな?」
美優はああいってくれたけど、やっぱり迷惑だったかな?もしかして、約束忘れて……いや、先生に限ってそんなことは無いよね。
でも、先生が姿を見せることなく、壁時計の針はカチッカチッと、無機質に時を刻んでいく。静かな部屋の中で、自分の心臓の音がよく聞こえた。胸が苦しい……。秒針の音一つ一つが、何だか憎らしくさえ思えてくる。
「成宮先生……」
苦しさに耐えかねて、愛しいその名前をポツリと呟く。だけどその時、ガチャッと扉の音が部屋に木霊した。
「……遅くなった」
「せ、先生……!」
顔を上げた先には、癖の入った黒髪の男性。……ずっと見たかった、成宮先生の姿がそこにあった。
「仕事が長引いてしまってな」
「い、いえ……。来てくれてありがとうございます」
ホッと肩から力が抜ける。そんな私の姿を先生は上から見つめている。
「どうした。何か用があったのか」
「あ、いえ……違うんです」
私は俯きながら首を振った。
「私、寂しくて……。先生とずっと、ちゃんと話せてなかったから。だから、その……会いたくなって」
それだけです。
たどたどしくなりながらも、私は自分の気持ちを告げる。
「……そうか」
先生は私に一言呟くと、私の隣にゆっくり腰を下ろした。怒っている感じではない。それだけが、私を少し安心させる。
沈黙が、再び時を刻む。あぁ、この後でどう言葉をつなげようか、決めていなかった。ううん、待ち時間をいっぱい使って考えはしたけど、今先生と会って緊張して、そんな台本はとうに吹き飛んでしまった。
「……あの、ごめんなさい」
やがて、耐えられなくなったのは私の方だった。スッとその場で立ち上がる。
「わ、私、ただ先生に会いたかっただけなんです……!ただ、声が聞きたくて……それだけで呼び出して、すみませんでしたっ!」
自分で呼び出しておいて、やっぱり私は我儘だ。私は先生に背を向けると、そのまま部屋の出口に向かった。……だけど、私の腕がグッと掴まれて、その場で足を止める。
「待て、舞香。私はまだ何も言っていないだろう」
すぐ後ろで、先生の気配がする。自然と、鼓動が高まった。
「それに、呼び出しておいて置き去りとは、勝手が過ぎるんじゃないか?」
「ご、ごめんなさい……」
先生の言う通りだ、今の行動は自分勝手すぎる……。自分で自分に飽きれながら、私はまた下を向いた。
「……えっ?」
途端に身体に回される大きな腕。私があっとが着いた時には、先生に後ろから抱き寄せられていた。
「……せ、せんせ……?」
先生の体温が、私の腕から、背中から、身体全体に伝わっていく。カァッと頬の熱を感じていると、耳元に先生の口が寄せられた。
「……私も会いたかった」
「ひゃっ……!」
あまりのくすぐったさに、思わず身をよじらせる。そんな私を逃すまいと、先生は腕の力を込める。
「……暴れるな」
「せ……せんせっ。あの、会いたかったって……」
一気に跳ね上がった鼓動を抑えながら先生に尋ねる。
「私、……先生に迷惑がられてるんじゃないかって」
「迷惑だと思ったことは、一度だってない」
先生は私を腕から解放すると、くるりと私を振り向かせた。私の目が、先生の綺麗な瞳に吸い寄せられる。
「私とお前は恋人だ。しかし……同時に教師と生徒の関係でもある」
「……分かってます」
「だから教師として、お前の“生徒としての時間”を奪いたくなかったんだ」
「えっ……?」
生徒としての時間……?
目を見張る私の頬に、先生は続ける。
「お前は人見知りが激しい子だった。そんなお前は、今のクラスでようやく周りに心を許し始めている。」
「はい……」
成宮先生の言う通りだ。私は元々人見知りな性格で、いつも独りで過ごしていた。そんなときに相談に乗ってくれたのが、成宮先生。先生のおかげもあって、私は徐々にクラスに溶け込んでいけたんだ。だから、段々と私の心には、先生が映るようになった。それで、勇気を出して告白して、晴れて付き合う事になったんだけど……。
先生は、そっと私の顔に掛かった髪をかき上げた。伝わる指の体温に、思わずドキッと肩が跳ねる。
「友達も増えて、そいつらと過ごす時間も多くなったろう。そんな友達とお前との時間を、“私との時間”で奪いたくなかったんだ」
「っ……!」
そこでようやく、先生の言っていることが分かった。確かに、先生と付き合ってから、私は無意識に先生との時間を優先するようになっていた。廊下で話しかけたり、資料とかを運ぶのを手伝ったり……。でも、そのせいで美優、そしてクラスの皆と過ごす時間が、少しずつ短くなっていたんだ。
「じゃあ、先生は私の為に、わざと冷たく……?」
「そのつもりだった」
だが、と先生は罰の悪そうな顔で、そっと私の頬に手を添えた。
「そのせいで、お前に寂しい思いをさせてしまったらしいな」
「……先生」
すまない。
成宮先生の悲しそうな表情に、ぐっと胸が締め付けられる。先生は、私の事を考えてくれていたんだ。教師としても、恋人としても。なのに……。
「ごめんなさい」
私は何も、気づかなかった。先生の優しさに、何一つ。
「……どうして謝る?」
「私、先生の気持ちに気づけなかったから……。勝手に寂しがって、私が友達と過ごす時間を作ってくれたのに、私……!」
「もういい」
とんっ、と私の唇に先生の指が乗せられる。目を丸くする私に、先生はそっと指を放して、
「もう、何も言うな」
先生の顔が、ゆっくりと私に近づく。そして……唇にやんわりとした感触が伝わった。
「っ……せん、せっ……?」
離れていく先生の顔を見つめながら、自分の口を指で覆う。今私、成宮先生と……。
「……放課後だ」
先生は呟きながら私を見下ろす。
「放課後なら、あまり“時間”の心配をする必要も無かろう。俺に会いたいならその時だ」
その時は、こちらからも声をかけてやる。
先生は私を見つめながら、頬を緩ませていた。普段は見れない優しい顔、そしていつの間にか変わっていた一人称に、私の胸はきゅっと熱くなった。
「じゃあ、今は……」
「あぁ、“その時”だな」
そう言うと先生は、その大きな腕でまた私を包み込んでくれた。
「な、成宮先生……!?」
先生のにおいが、凄く近い……。ドクドクと、自分の心臓が激しく脈打つ。
「舞香、名前」
成宮先生は、そっと私の頭を撫でる。撫でてくれる先生の手が、凄く心地いい。
「二人きりなんだ。その時は、“先生”じゃなくて……?」
すぐ耳元で、先生の声が聞こえる。そのくすぐったさに震えながら、私は小さくその名前を呼ぶ。
「……奏真さん」
言ってしまった後には、身体中の体温が上がる感覚。ほんの短い一言。でも、これは私にとっての劇薬だ。
「舞香」
奏真さんも私の名前を呼んで、一層強く抱きしめてくれる。私も、彼の背中にそっと腕を回した。
「奏真さん、私……あなたが大好きです」
「……あぁ」
明確には答えなかった先生。でもその代わり、また私の顔を向かせて、口元に優しく口づけてくれた。
「奏真さん……」
昼間会えない分、放課後は甘えてもいいでしょうか?
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