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二人が専攻する文学部棟は学部棟の一番端にある。学食棟やサークル棟から離れていて都度往復しなければならないが、駅から一番近いところにあるので行き帰りは便利だ。
無事プリントを手に入れることが出来てほくほくの司は、礼をすると言って金田を連れて駅へ向かった。
「そういやさ。住まわせてくれてる奴ってどんなん? 学生? おっさん? いや、女だと思ってんだから、おっさんじゃおかしいか」
「うん、女同士だから提案してくれたんだろうしおっさんではないな。あの人何歳だろ」
「年齢不詳なんだ」
「そだな、顔知らないし」
「え」
「声は高くて可愛いけど、顔見ないと判断がつかねー」
「は」
相槌がどんどん曖昧になっていく金田に気付き、もしかして話し過ぎたかとやっと理解した。面倒なことになった。
「顔も声も知らないって、何なん。忙しくて鍵だけ渡されて会ったことないとか?」
金田の目が怖い。思わず視線を逸らす司だったが、金田の行動の原因を作ったのは自分自身である。
金田に反論も出来ず、昨日の出来事をそれとなく伝えた。結果は案の定だった。
「マジっか! お前アホか! 完全に犯罪者じゃねぇか」
「いや、そんなことないだろ。良い人だし、多分何かそういう趣味の人だって」
「それも怖い」
自分で言っておいて何だが、趣味なら趣味で怖い気がしてきた。
人の趣味にとやかく言う気は無いが、一般的に理解されにくい趣味を持っている者は露呈された趣味の他にも言えない趣味を持ち合わせている可能性が高い。あの風貌は一日で慣れてしまったものの、最初はあり得ないくらい怯えてしまったのも事実であるので、それ以上のものが出てきてほしくないと思う。
「ま、平気だって。気にすんな」
「ここまで言われて気にしない方がおかしいっつーの。嫌な予感したら全力で逃げろよ? 実家っつったって俺の家来たって何とかなるし」
「ん。サンキュー」
さすがに友人の実家に上がり込むつもりはないので、社交辞令な返答をする。大学の門を潜り抜けて、そこを過ぎればすぐに駅だ。司は門にいた警備員をちらりと見た。
「聡一さ、あの警備員さんて怖くね?」
「誰……あー、あの人か。目ェ合わせない方がいいぞ」
「そんなヤバイ人なんだ」
「警備員とは仮の姿、夜はヤの付く人だって噂だ」
「覆面よりそっちのがこえーよ」
もう一度、今度は通り過ぎた警備員の後ろ姿を眺めて言った。前々から常に凶悪な顔をしていて、それこそ人を一人何かしてしまった顔をしているとは思っていたが、まさかそんな噂まで立っていたとは。きっと普通の社会人なはずなのに顔で大分損をしている、司は名前も知らない彼に同情した。
暇を持て余した二人は、昼食をファミレスで済ましゲームセンターや駅前をぷらぷらして大学周辺をうろついた。十八時を過ぎたところで帰る準備を始める司に金田が心配の声をかける。
「そういや早く帰っても覆面仕事終わってないんじゃん? 鍵は?」
一瞬止まった後、ごそごそと鞄から何もストラップの付いていないシンプルな鍵を取り出す。
「朝くれました。初対面の相手に渡すとか結構不用心だよね」
「す、すげー。さすが覆面なだけある」
まだ見ぬ由香里へ謎の褒め言葉を贈る金田は上機嫌で改札をくぐる。金田の中での由香里像が一体どうなっているのか気になるが、とりあえずツッコまずに今日は帰るとする。金田に続いて改札を通り抜けようとして定期を取り出した右手がふいに誰かと当たった。どうやら横にいた人物に当たってしまったらしい。
「あ、すみません」
「……ああ?」
よく相手を見ないままに謝れば、地獄の底から這い出た鬼のような声が返ってきた。スライディング土下座をかます勢いで腰を折り曲げて謝り直す。
「ひいぃっすみません申し訳ありませぇん!」
「簡単に謝んじゃねぇよ、クソが! 殴られてぇのか」
「はは、はいぃっ」
恐怖に負けた司を見て明らかに眉間の皺を深めてキレ出した女に何とかそれだけ言葉を絞り出し、司は数メートル先にいるだけの金田に向かって全力ダッシュして、抱き着く勢いで文字通りダイブした。
「うおおおおおお聡一ィイイイイイイ!」
「ぐおッ……なんだ、司、て、え」
受け止めた金田も前を見たまま動かない。かちかち歯を鳴らしながらやっとまともに口を開く。
「こっ……こえぇ! 絶対ヤーさん、あれこそヤーさん」
「あんな凶悪な顔面の女初めて見たぞ。女にしとくもったいないくらいの強面だぜ。その辺の小動物くらいなら睨んだだけで気絶すんじゃねーの。つか、あの顔どんだけ不機嫌なんだよ、ツンデレじゃなくてツンギレだろあれじゃ……あ!」
小声で叫ぶという器用な会話をしていた二人だったが、金田が驚きの声を上げて司もつられてそちらを振り向く。そこには先ほどのツンギレ女はもうおらず、ホームへ急ぐ人々が慌ただしく動いているだけだ。
「どうした?」
「今、あのツンギレ女と一緒に歩いていた男! あれだった」
「何だよ」
「大学の警備員!」
「マ、ジか……!」
噂話が一歩信憑性を増した夜。
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