43人が本棚に入れています
本棚に追加
1
磯辺治郎は、魂がぬけたようにだらしなく、畳にへたり込んでいた。
鉢植えの風信子の赤い花弁を、西陽が鮮やかに照らしていたが、蛍光灯をつけ忘れた部屋は、すでに夜だ。
かれこれ三十分、畳に置いた六寸ほどの桐箱を、治郎は焦点の定まらぬ目でぼおっと見ていた。
少し前。帽子を目深にかぶりマスクで顔の半分を覆った葬儀屋は、手袋をした手で宅配便のように骨箱を手渡すと、そそくさとその場を去った。
ご愁傷様といったかに聞こえたが、マスクでくぐもった声は、治郎の古びた鼓膜には届かない。
最近の若い奴は挨拶がなっとらんと、いつもの癇癪の虫が顔を覗かせるも、手にした箱のあまりの軽さに愕然として、妻を失った喪失感が、癇癪を飲み込んだ。
妻の妙子は、およそ三週間前に新型コロナウイルスの陽性と診断され、入院した。それ以来直接会うことは叶わず、帰ってきた時は骨になっていた。
治郎は妙子が亡くなって初めて、もっと優しくしてやればよかったと、後悔した。
最初のコメントを投稿しよう!