茜色の異世界

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 その大仰なワードには驚きを禁じ得なかった。というのもここは崖の上から見渡した感じ、南半分を山肌、北半分を森に囲まれた円形の集落で、外周に面した門から中心の白い城まで歩いて三十分程度でついてしまった。新宿区だけでももう少し広いはずだが、それで国とは。 「この世界ではなかなか大きな集落を構えるのが難しいの。人があまりに集まっちゃうと強いモンスターを引き寄せてしまうし、人が住むのに都合のいい立地や環境ってそうないから。この国、ルミエール王国って言うんだけど、ここも周囲に群青してる《ハツカ》っていう木のお陰で発展できたんだよ。葉や幹が、モンスターの嫌う匂いを出すの。人口三万……この世界じゃ、これでも大規模な方だよ」 「そうなのか……言われてみれば、そうだよな」  ここには立派な城壁があるが、あれをマンパワーだけで(こしら)えるには相当な年月が必要だろう。建築中に何度もモンスターに襲われるようでは、いつまでたっても集落の発展は見込めない。  モンスターに襲われる心配の比較的少ない、特殊な環境でなければならないとなると、やはり場所は限られてくるし、ここのような集落をいくつも統治して大きな国が生まれることも現実的じゃない。 「じゃあ、新客には国からの補助が出るってマーズさんが言ってたけど、あれはココのことを指してたんだ」 「うん。厳密にはギルドの扶養(ふよう)に入るの。手続きはもうしたでしょ?」 「マーズさんに言われるがままだけど、羊皮紙みたいな紙にサインしたよ」  後から聞いた話だが、ギルドとは、国の警察であり、軍隊であり、役場でもある"何でも屋"的国家機関だ。腕の立つ冒険者を(よう)し、鍛え上げて派遣するだけでなく、国の窓口となって国民のためのあらゆる業務を一手に請け負う。ギルドに所属するウォーカーや従業員は、言わば"公務員"なのである。  正規の手続きを踏まえれば、新客は一年間、最低限だが十分な金と必需品、そして住む家までもをギルドから支給してもらうことができる。俺も今夜から早速、街の中心部にある新客居住区で長屋の一室を借りることになっている。 「私も住んでたから分かるけど、ボロくてびっくりするよ」 「構いやしないって、ありがたいよ」 「懐かしいなぁ、もう六年前か」  頬杖をついて斜め上に視線を向けたカンナの横顔に、一瞬、ノスタルジックな色が挿した。 「六年……?」 「うん、ちょうど六年前の今日。私が九歳になる年だったな」  一つ年上だったのか、などとボケたことを考えられたのは、かなり後になってからだ。  今日俺が経験した全てが、たった九歳の女の子に降りかかった。想像もできない。そんな壮絶な体験をして、こうして今、超然と微笑んでいる彼女を、同じ人間とは思えない。 「その年"助かった"新客としては、たぶん最年少だったかな。私は運が良かった。まさにモンスターに食べられそうなところを、白薔薇のウォーカーに助けてもらって。それからもいろんな人に支えてもらって生きてこれた。マーズさんなんか、一年間私と一緒に新客居住区で暮らしてくれたのよ。あんなボロ小屋で、小さな女の子一人で住まわせられない、野蛮な男には任せておけないって」  日本の、小学四年生の女の子だ。こんな世界に放り込まれていったいどうやって生きるというのか。カンナはこの国の大人たちに一生懸命守られて、この歳まで生きてきたのだ。俺は、カンナが俺にこんなに良くしてくれる理由を同時に今、少しだけ聞いた気がした。  間もなく、ウェイターが鉄板に乗った熱々のステーキを運んできた。(おびただ)しい量の油を跳ねさせて芳香を放つ肉の塊は、カンナの方でも200g、俺のに至っては600gは下らないサイズで、思わずカンナと巨大ステーキを交互に見つめた。 「俺、こんな量頼んじゃったのか……。ごめんカンナ、英語がうまく伝わらなかったみたいだ、その、決して奢りだからと調子に乗ったわけではなくて……」 「ぷっ!」  カンナは吹き出したかと思うと、涙が出るほど笑ってまなじりを指で(ぬぐ)った。 「ごめんごめん、その量は私が伝えたの。男の子ってたくさん食べるでしょ?」  そう言えばカンナも流暢な英語でウェイターに何やら注文していたが、俺には全く意味が分からなかったのだ。  それにしても、なんというボリュームだろうか。店の雰囲気こそ大衆的だが、赤身とサシが絶妙なバランスで共存するミディアムレアのステーキは、その香りだけでもう生唾が止まらないほど美味そうで、何よりものすごく、高そうだ。今にもかぶりつきたいのをこらえて、俺はカンナを上目で見つめた。 「いいのか……? こんなに、高そうなもの」 「ぜんぜん。君は命の恩人だし。そのお肉、すっごく牛肉に近い味だからきっと口に合うと思う」  そうか。この肉は俺の慣れ親しんだ家畜のものではなく……モンスターの。そう思うとかすかな抵抗感が鎌首をもたげたが、カンナが天使のように微笑むので、迷いはあっさり消えた。  いただきます、とうやうやしく両手を合わせてから、俺はナイフとフォークでぎこちなくステーキをカットした。表面に刃を当てると、肉は軽い抵抗と共にズブズブと切れていく。肉汁溢れる断面の、微かに赤い部分があまりに魅惑的だ。  小皿のステーキソースにじゃぶっと浸して、一思いに頬張る。瞬間、良い歯ごたえとともに途方もない旨味が口中に溢れ出して、思わず、深いため息が出た。 「う……うまい……」  半泣きで呻いた俺に、カンナがまた吹き出した。俺の反応を見守ってから彼女も両手を合わせ、二人で会話もそこそこにひたすらナイフとフォークを動かし続けた。  やがて綺麗に鉄板が空になる頃には、俺はすっかり満たされて、天井に吊るされた古ぼけたランプの光を見上げて、夢見心地でいた。 「ごちそうさま……俺、こんなに美味いもの初めて食べた」 「ふふ、喜んでくれたならよかった。すごい食べっぷりだったね。足りなかったかな」 「そんな、と言いたいところだけど、倍はいけたな」  呆れたように笑われた。 「またご馳走してあげるよ」 「いや……」  俺は一瞬迷ってから、意を決して切り出した。 「今度は、俺に奢らせてくれよ」  カンナが目をぱちくりさせて、俺の顔を覗き込んだ。 「そんな宛あるの? 無理して気を遣わなくても」 「ウォーカーを、目指すって言ったら、笑うか?」
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