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マーズと別れて外に出ると、"夜"が訪れていた。
アカネに太陽や月は存在しない。そもそも、この世界に星や宇宙という概念があるのかすら分からない。ただ、地球に比べて少し弱いが重力は存在するし、こうして、空は日に一度暗転する。
マーズから聞いた情報通りだ。星明かりの一つもない、世界の照明をオフにしたような真っ暗闇が、のっぺりと空を覆っていた。街の灯りがなければ、世界は水のように隙間のない、完全な闇に包まれることだろう。
不思議だ。夜になっても気温の変化がまったくない。あの紅い空は熱を地上にもたらしているわけではないようだ。この世界が惑星でないのなら、なぜ酸素があり、風が起こり、生物の住める気温が保たれ、そして、夜が訪れるのだろう。
「シオン君!」
幼さを残す女の声に呼ばれ、俺は心臓の高鳴りを押し殺して振り返った。
城から出てすぐのところで待っていた俺を見つけ、笑顔で走ってきた少女のチョコレート色の髪が揺れる。
「ごめん、遅くなって」
目の前まで駆けつけ、乱れた髪を耳にかけると、俺の命の恩人はあまりに魅惑的に微笑んだ。
ウォーカーたちの凱旋から間もなくして帰ってきた彼女は、「ディナーを奢る」という約束を覚えてくれていて、俺と再会するなり「お腹空いてる?」と上目で見上げてきた。俺は強く頷き、マーズににやにやされながら、外に出てカンナの支度を待っていたのである。
「待った?」
「いや、全然……着替えたんだな」
カンナは騎士風の白装束を脱ぎ捨て、チュニックとスカートにコートを羽織った、私服と思しき姿に変身していた。帯剣もしていない。こう見ると、本当にあどけない、普通の女の子だ。ものすごく可愛いことを除けば。
「シオン君こそ、その服」
「あぁ……マーズさんがくれたんだよ」
正確には、カンナとの待ち合わせに浮ついていたところ、自分が下着同然の寝間着姿であることに気づいた俺がマーズに泣きついたのだった。
マーズは城の二階に上がって、新客にギルドが支給するものだという衣服を、一組俺に見繕ってくれた。麻糸のシャツとズボンに紐靴、コートまで。色も選べたので全て黒を注文した。
「なんか、真っ黒だね」
「服なんてどうやって選べばいいか分からなくて。向こうじゃ制服と道着と寝巻きしか着たことないから、黒以外は違和感あって……ヘンかな」
「いや、似合ってるよ。また支給されると思うけど、服はすぐボロボロになるからたくさん買わなきゃね。今度安くていい店紹介するよ」
「いいのか? 助かる」
ぎこちなく破顔した俺に、カンナはにこりと微笑んだ。
カンナに案内されて、俺は賑わう街の一角に構える煉瓦造りのステーキハウスに入った。店内には肉の脂が跳ねる濃厚な匂いが充満していて、一歩足を踏み入れた瞬間強烈に胃を刺激された。
テーブルにつき、全て英語で書かれたメニューをカンナに翻訳してもらいながらどうにか読み、「英語の練習ね」と無茶ぶりされて俺が注文する羽目になった。
「え……えくすきゅーずみー」
俺の無残なひらがな英語に、カンナが腹を抱えて笑った。ステーキが来るのを待つ間、色々な話をした。
「いい街だよな、ここ。なんか、すごいパワフルでさ。外にあんな化け物がいるってのに」
楽しげに談笑し、分厚い肉を頬張る客や、窓の外を賑やかに歩く街の人々を眺めて、俺はしみじみそう思っていた。
「ほんと? そう言ってくれると嬉しいな。ちなみに、正確にはここって街じゃなくて"国"なんだよ」
「えぇ?」
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