第一章 梅雨、たびたび動揺

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 今までも街でドラマのロケ現場には遭遇した経験があるなぎさだが、あくまでも一般人の領域からであった。関係者のひとりとして撮影現場をこんなに間近で見物するのは初めてだ。 本番前のリハーサルでスタッフが役者の立ち位置、距離感、衣装やメイクのチェックをする。この空気、この緊張感。比べ物にはならないが高校時代に所属していた演劇部の稽古を思い出した。  クランクインを迎えた本庄玲夏主演の新春放送のスペシャルドラマは人気推理小説家、柏木(かしわぎ)(みやこ)の同名小説が原作のサスペンスドラマ。 タイトルは【黎明(れいめい)の雨】。  現在火曜日に放送されている連続ドラマでは刑事役を熱演する玲夏がこのスペシャルドラマで演じるのは妹を殺した殺人の容疑をかけられ、妹の死の真相を追う中学教師の白峰(しらみね)柚希(ゆずき)役。 相手役の一ノ瀬蓮は柚希の妹が殺された殺人事件を捜査する刑事、遠山(とおやま)恭吾(きょうご)役。  玲夏も蓮も今日がクランクイン。ヘアメイクの最終チェックを済ませると本番が始まった。スタートの合図と共にカメラが回り、その場の空気を役者が支配する。玲夏は柚希に、蓮は恭吾としてそこに存在していた。 二人が作り出す黎明の雨の世界になぎさは瞬時に引き込まれた。 (いけない、いけない。演技に見入ってしまった。なんのためにスタジオにいるのよ私は!)  名目は玲夏の付き人。しかし本来の目的は不審な動きをする怪しい人物を見つけ出すこと。この新春スペシャルドラマの撮影チームで吉岡社長が挙げた嫌がらせの容疑者は役者、スタッフ含めて五人いる。 『北澤さん入りまーす』 男性スタッフの声が響いてなぎさはスタジオの入り口に目を向けた。スタッフに連れられて颯爽と現れたのは俳優の北澤愁夜。 容疑者リスト① 北澤愁夜。 28歳、本名非公表。 安定した人気はあるが同年代の一ノ瀬蓮よりは演技力は劣る。ドラマや映画では準主役扱いが多い。 吉岡社長曰く、華のある外見なので芝居よりは顔で売っているアイドル俳優。 【黎明の雨】の役どころは柚希(本庄玲夏)の妹の若菜が通う高校の教師、川村(かわむら)一樹(いつき)役。 同年代の一ノ瀬蓮とは周囲からたびたび演技力を比較されるため犬猿の仲と噂されている。 ~北澤愁夜が容疑者になる理由~ ・蓮に対抗心あり ・過去に玲夏に言い寄って振られたことがある ・2年前までは玲夏や蓮と同じ芸能プロダクション〈エスポワール〉の所属だったが、吉岡社長と仕事への方向性の違いから決別、別の芸能事務所に移籍 北澤は玲夏と蓮、吉岡社長を恨んでいる?  さらにもうひとり、女性がスタジオに入ってきた。女優の香月真由だ。 容疑者リスト② 香月真由 34歳。本名非公表。 宝塚娘役出身。宝塚出身だけあり、滑舌のいい発声と目力のある演技に定評がある。 【黎明の雨】では恭吾(一ノ瀬蓮)の上司で恭吾の恋人の女性刑事、向井凉子(むかい りょうこ)役。 ~香月真由が容疑者になる理由~ ・3年前まではドラマの最多主演女優だったが、最近は出演作に恵まれない ・5年前まで吉岡社長の愛人だった 動機の線では薄いものの、主演作の続く玲夏への嫉妬や元恋人の吉岡への恨みから嫌がらせをしている可能性はある。 (香月真由が吉岡社長の愛人だったことには驚いたけど……それさえなければ香月真由は除外してもいい気もするのよね。でも一応、警戒しないと)  玲夏に渡す飲み物や食べ物にはすべてなぎさのチェックが入り、さらには北澤や真由の行動に目を光らせなければいけない。 撮影は始まったばかりなのに、なぎさはすでに心身共にくたびれていた。
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