第二章 霧雨、のち波乱

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第二章 霧雨、のち波乱

6月8日(Mon)午前6時37分  なぎさを含めた【黎明の雨】撮影チームを乗せた新幹線が品川駅を発車した。 (初っぱなから大変だった……) 指定の座席でペットボトルの紅茶を飲んでやっと一息つけた気分だ。遡ること30分前、ちょっとしたトラブルがあった。  品川駅二階の新幹線のりばの改札口前に撮影チームは集合していた。  午前4時起きのなぎさはタクシーで玲夏の家まで彼女を迎えに行き、午前5時45分に品川駅に到着した。なぎさと玲夏が着いた時にはスタッフや役者も集まり始めていて、数分後に一ノ瀬蓮が到着。 集合時刻の午前6時には撮影メンバーの全員が集まったと思われたが、ただひとり、6時を過ぎても現れない役者がいた。 「速水さんはまだ来ないの? 集合時間を5分過ぎたわよ」 大きなサングラスで顔を隠した香月真由はかなり苛立っていた。AD(アシスタントディレクター)の平井透が真由に頭を下げている。 『申し訳ありません。支度に手間取って自宅を出るのが遅れたらしくて。速水さんのマネージャーからはあと15分で到着すると連絡がありました』 「まったく。新人じゃないんだから。速水さんは時間にルーズなところは変わらずね」  憤慨する真由を必死になだめるスタッフを遠巻きに眺めていたなぎさの隣に、ヘアメイクの西森結衣が並んだ。 「香月さんは宝塚出身だから余計に時間に厳しいのよね。秋山さんも香月さんの前では時間厳守ね」 「気を付けます。でも遅刻している人がいるのに玲夏さんも一ノ瀬さんも落ち着いていますね」  なぎさは玲夏と蓮に目を向ける。玲夏は台本を読み、キャップを目深にかぶった蓮は壁にもたれてイヤホンで音楽を聴いている。 どちらもそこにいるだけで絵になる、まさに芸能人の風格だ。早朝の品川駅を行き交う人々の中には玲夏や蓮をちらちらと見ていく男女もいる。 「あの二人はいつもそうなの。撮影前はああやって自分の世界に入って気持ちを高めるんだって。一ノ瀬さんも普段はノリが軽いけど撮影前になるとガラッとモードが切り替わるって言うのかな。だからあの二人にはマネージャーでさえも必要以上に話しかけないのよ。芝居に向き合う姿を見てると、玲夏と一ノ瀬さんって似た者同士なのかもね」  ヘアメイクの立場の結衣が女優の玲夏を呼び捨てにしていることに違和感を感じたなぎさはあることを思い出した。西森結衣の名前と顔に見覚えがある。 「西森さんって、以前にシェリでモデルをされていましたよね?」 「えっ! 秋山さん私のこと覚えていてくれたの? シェリに出てたのはもう10年近く前なのに」 シェリは本庄玲夏が女優デビュー前に専属モデルを務めていた10代後半から20代前半女性向けのファッション雑誌だ。 「やっぱり! 私が高校生の時に、シェリは玲夏と結衣のツートップでしたから。シェリを卒業した結衣ちゃんはどうしてるんだろうって気になっていたんです」  当時、女子高生や女子大生を中心にカリスマ的人気を誇った本庄玲夏と西森結衣はシェリの看板モデルだった。二人の私服着まわし企画やセルフメイクのページも人気だった。 玲夏は2002年にシェリを卒業後、女優デビューを果たして今やテレビで見ない日はないが、玲夏が卒業する数ヶ月前にシェリを卒業した西森結衣は表舞台から姿を消した。 「シェリを卒業してから美容専門学校に通ったの。元々、服よりメイクが好きだったから今の仕事が天職みたいなものかな。女優として頑張ってる玲夏のヘアメイクを担当したくて、昔のコネで玲夏の専属ヘアメイクにさせてもらったんだ」 「一緒にモデルをしていた玲夏さんのヘアメイクを西森さんが手掛けるなんて素敵ですね」 なぎさと結衣が和やかに会話をしている時も、香月真由は苛立ちを隠せずに歩き回り、玲夏と蓮は素知らぬ顔で自分の世界に入っていた。 やがて集合時間を20分過ぎた頃に速水杏里が表れた。 「速水さん、20分の遅刻よ」 「すいませーん。でも新幹線は37分発ですよね? 充分間に合うんだからいいじゃないですか」 真由の非難の声が飛んでも、遅刻をした杏里はまったく悪びれない。 「香月さんも杏里ちゃんも性格に癖がある者同士で仲が悪いのよ。今回のキャストは見事にまずいメンバーが揃っちゃったな」 小声で囁いた結衣の嘆きになぎさも同意の頷きを返した。ピリピリとした雰囲気のまま、撮影チームは新幹線のホームに降りた。  無事に全員が6時37分発の新幹線に乗車したが、列車内でまたトラブルが発生した。 新幹線の座席は全員分が指定席。主演の本庄玲夏や準主役の一ノ瀬蓮、主演クラスの役者達は二人席をひとりで使えるよう配慮されている。問題なのは相席になる役者達。 誰の隣に誰が座るかで揉め、ここでも騒動の中心人物は速水杏里だった。
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