第二章 霧雨、のち波乱

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   ──神戸──  宿泊先のメリケンパーク近くのホテルに到着して早々、なぎさはスタッフ達と撮影場所の確認をしたり、玲夏の衣装チェックの仕事に追われた。マネージャーの沙織がいない今日は玲夏に関するすべての仕事を請け負うことになる。正直、今は潜入調査どころではない。 役者達の衣装はホテルの一室を衣装部屋にして管理している。この衣装部屋からスタイリストが衣装を選んでロケバスに乗せる。 ところ狭しと置かれたハンガーラックには役者達の衣装がずらりと並んでいる。なぎさは玲夏の衣装に不備がないか確認をしていた。  確認も終盤に差し掛かった頃に一ノ瀬蓮が部屋に入ってきた。役者達は撮影開始時刻までは各自の割り当てられた部屋で待機のはず。彼がこんな場所に来るのは不自然だ。 「どうされたんですか?」 『新幹線の中で乃愛と話していたよな』 「……はい。席が同じだったので」 ハンガーラック越しに二人は向かい合う。蓮の表情に笑顔はなく、初対面の時の軽いノリも消えている。少し怖いと感じる凄みさえあった。 『乃愛のこと、どう思った?』 「どうって、テレビで見るイメージ通りの子でした。優しくて素直で……」 『優しくて素直ねぇ。なぎさちゃん、一応は探偵の助手だろ?』 「そうですけど、それがなにか?」  大袈裟に溜息をつかれて少々頭に来たなぎさは語気を強めていた。蓮がハンガーラックに手をかけてラックのキャスターを転がすと、二人の間の隔たりが無くなった。 『君がここにいる理由は?』 「玲夏さんと事務所に嫌がらせをしている犯人を見つけることです」 『じゃあもっと周りを警戒した方がいい。たとえば今の状況とか』 一歩ずつ、蓮がなぎさに近付いてくる。なぎさは蓮の迫力に気圧されて後ずさった。 「一ノ瀬さん、どうしちゃったんですか?」 『もし、俺が君の敵ならどうする? なぎさちゃんは俺が容疑者リストに入っていないことに安心して俺には隙だらけだ』 (一ノ瀬蓮が敵? まさか……)  壁際まで追いやられ、もう一歩も下がれない。靴のかかとが壁に当たった。 蓮は無表情で口元だけが笑っている。 『もし俺が嫌がらせの犯人だったら? もし玲夏を憎んでいたら? 俺は君の正体を知ってる。邪魔な君を追い出すためには手段は選ばない。他人に見せている表面上の顔だけでは中身はわからない。もっと裏側を読まないとダメだよ?』 「それは……わかっています」 蓮は片手を壁につき、怯えるなぎさの顔を見下ろした。彼の端整な顔がすぐ近くにあり、そんなことを考えている場合ではないとわかっていても、格好いいなどと思って頬を赤らめてしまう。 『……ま、俺が敵だって言うのは冗談』 「えっ?」 『俺が敵なわけないだろー? 本気にした?』 「全部、演技だったんですか……?」 『ははっ。これでも俳優だよ?』 「……びっくりさせないでください! 本当に……怖かったんですからっ!」  さっきの蓮にはなぎさが本気で身の危険を感じるほどのオーラがあった。さすがの演技力だ。日本アカデミー賞主演男優賞の名誉は伊達じゃない。
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