第二章 霧雨、のち波乱

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   ──神戸──  午後3時。曇天の空の下でもドラマの撮影は順調に進んでいた。 『神戸は街も人も洒落ていて個性的だよね。撮影で色々な場所に行くけど街それぞれに顔があって色があるんだ』  なぎさに熱弁を振るうのは俳優の加賀見泰彦。年齢から来る落ち着いた物腰とはずいぶんとかけ離れて、加賀見はお喋りな男だった。 自分の出番がない待ち時間に彼はくどくどとなぎさに話しかけてくる。加賀見のお喋りには閉口気味だが、これは彼を探るいい機会でもあった。 容疑者リスト④ 加賀見泰彦 40歳、本名同じ。 16歳で俳優デビュー。日本アカデミー賞など多くの賞を受賞してきた実力派。 バツイチ。3年前に一般女性の妻と離婚。 【黎明の雨】では柚希(本庄玲夏)と若菜(沢木乃愛)の叔父の白峰(しらみね)(まこと)役。 ~加賀見泰彦が容疑者になる理由~ ・半年前まで玲夏と交際していたが、加賀見の浮気で破局 ・加賀見所属の芸能プロダクション〈アンファング〉社長がライバル事務所〈エスポワール〉の看板役者の本庄玲夏と一ノ瀬蓮を引き抜こうとする動きがある 玲夏に未練あり? 所属事務所の社長と結託して玲夏と蓮を引き抜くためにエスポワールに嫌がらせをしている? (ダメだ、私の頭の人物相関図がパンクしている。なんなのよこの現場……昼ドラじゃないんだからっ! しかし加賀見泰彦ってお喋りだなぁ)  玲夏と蓮と乃愛の奇妙な三角関係から、玲夏と加賀見の関係まで、玲夏に向けられる好意、悪意の矢印の把握に忙しい。 なぎさは愛想笑いを浮かべて、このお喋り好きなベテラン俳優の話に相槌を打つ。そろそろ探りを入れてもいい頃合いだ。 「加賀見さんは所属事務所の副社長も務めていらっしゃるんですよね」 『よく知ってるね。昔馴染みの劇団関係の奴が独立して事務所立ち上げたものだから、そっちに移籍したんだ。共同経営みたいなものだね』 (その昔馴染みがアンファング社長か……) 「事務所に所属する役者の演技指導もされていると噂でお聞きしました」 『ははっ。大手に比べればまだうちは小さな事務所で二流三流役者しかいない。次世代の人材を育てて、いつかうちの看板を背負える役者になってもらいたいと思ってねぇ。本格的に俳優養成所でも作ろうと考えているんだ』  撮影を見守りながら芝居を語る加賀見は経験豊富な教育者に見えた。加賀見の芝居への愛が伝わってくる。 (俳優養成所まで考えてる人が今さら玲夏さんや一ノ瀬さんを引き抜くために嫌がらせ工作なんてする? いやいや、あっちはアンファング社長の独断かもしれない。それに加賀見泰彦は玲夏さんの元カレで、そっちの線で怪しくもある)  ここまでの手応えとしては加賀見はまだグレーゾーンだ。 『秋山さんはどうして本庄さんの付き人になったの?』 「玲夏さんのマネージャーの山本さんの紹介で……」  用意している台本通りのセリフを言った。プロの役者に自分の演技が通用するかはわからないが、元演劇部の腕の見せ所だ。 『付き人に志願する人は大抵が役者志望が多いけど君も役者志望?』 「はい。女優を目指しています。だけど玲夏さんや皆さんを見ていると私にはとてもできないと思えて、自信をなくしています」 わざとしょんぼりとした表情を作り、加賀見の反応を見る。 『秋山さんは美人でスタイルもいい、女優よりはまずモデルとして活動するのも悪くはないよ。良ければ俺の事務所に入ってみる?』 加賀見の目の色が変わり、声のトーンも明らかに甘いものに変化した。 「加賀見さんの事務所にですか?」 『俺の事務所に入って、モデルやタレント活動しながら俺が直接演技指導してあげるよ。どうかな、撮影が終わった後にゆっくりその話を……』 「加賀見さん。彼女は本庄さんの付き人よ。話があるのならまずは本庄さんか本庄さんのマネージャーに話を通すのが礼儀でしょう。変な誘惑で若い子を間違った方向に引きずらないでくださる?」  後方から香月真由の鋭い声が飛んで来た。加賀見は調子よく笑ってなぎさと距離をとる。 『酷いなぁ、香月さん。俺はただ秋山さんが女優として花開く手助けがしたいだけだよ』 「そう言ってあなたに摘み取られて蕾のまま消えた新人がどれだけいると思ってるの?」 真由の冷たい眼差しにたじろいだ加賀見は言い訳がましく詫びてその場を去った。 「香月さん、ありがとうございました」  なぎさは真由に礼を言う。加賀見との話が意図しない方向にズレてきてどう切り返せばいいか困っていたところに、真由の一声で助けられた。 真由は西森結衣にメイクを直してもらっている。 「いいのよ。加賀見さんはいい歳して、いつまでもチャラチャラと女遊びしてるから奥さんに愛想つかされるのよ。この現場にはうんざりするほど女好きが集まってるのよね。秋山さんも気を付けてね」 「はい。あの、加賀見さんと玲夏さんが前にお付き合いをされていたと聞きましたけど……」 「そうみたいね。だけど……ねぇ、結衣ちゃん。あれは加賀見さんの片想いだったのよね?」 話を振られた結衣は苦笑いして頷いた。彼女はチークブラシを真由の頬に滑らせる。 「ええ。加賀見さんが玲夏にお熱で、玲夏は全然その気じゃなかったんです。でもいい加減にしつこいから玲夏が折れて試しに何度か食事には付き合ってあげていたんですけど、加賀見さんの浮気が発覚してサヨナラ」 「あの人の女好きと浮気癖はもう病気ね。好みの子がいるとあっちへフラフラ、こっちへフラフラ、一生治らない重病だわ」  真由の言葉に感じた違和感の正体になぎさは気付いた。 (香月さんが加賀見さんをって呼ぶのって、もしかして香月さんと加賀見さんは……)
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