第三章 豪雨、すなわち嫉妬

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 朝食時間の午前7時になると役者やスタッフが宴会場になだれ込んでくる。上座に主演の玲夏、蓮、監督、助監督の席があり、付き人のなぎさと矢野は玲夏と蓮の隣に席が用意されていた。 加賀見泰彦、香月真由、速水杏里、北澤愁夜、沢木乃愛も芸歴順に上座に並び、ADの平井は下座に席があった。 他の役者やスタッフ、ヘアメイクの西森結衣も指定の席に着く。  ──和やかな朝食の裏で陰謀は実行された。 『……ぅ……ぐぅ……』  呻き声が下座から聞こえてきた。下座から上座まで伝わる動揺の波、何かが畳に倒れる音と女性の甲高い悲鳴が上がった。 「ちょっとどうしたの?」 『おい、大丈夫か?』 『なんだ? 何があった?』 「誰か倒れてるっ!」 即座に席を立ったのは矢野だった。矢野は人と人の間のわずかな隙間をすり抜けて下座に駆け寄る。末席に男が倒れていた。 『おい……』 『触らないで!』  男性スタッフが倒れた男に触れようとするのを矢野の厳しい声が制した。 男は畳に仰向けになり、だらしなく開けた口からは舌が出ている。喉にはもがき苦しんでかきむしった引っ掻き傷があった。 脈を確かめるまでもない。は死んでいた。 『全員そのまま動かないで。食べ物、飲み物にも手をつけずにじっとしていてください』  矢野の気迫に圧倒された一同は無言で彼の行動を見守る。矢野は死体の周りの状況を確認した。 重箱の朝食にはほとんど手がつけられていない。割り箸も未使用だ。 湯呑みが畳の上に転がり、溢れた緑茶が畳と座布団に染み込んでいた。 『……警察を呼んでください。ADの平井さんが亡くなりました』  矢野の一言に会場中がどよめきに包まれた。 『落ち着いて。警察が来るまでは誰も平井さんには触れないように。それとここから出ないでください。部屋の物にも触れないようにお願いします。……なぎさちゃん』 大声でなぎさを呼んだ。上座にいたなぎさが立ち上がる。 『フロントに行って事情を説明して、警察の手配をお願い』 「はい!」  宴会場を飛び出すなぎさの背中を見送り、矢野はこの場に集まる人々を一瞥した。 平井が毒殺されたのは間違いない。この状況で動ける人間、は自分となぎさだけだ。 現状では本庄玲夏も一ノ瀬蓮も、宴会場にいる全員が容疑者だ。  警察の初動捜査を心得ている矢野は現場の保存を徹底した。頼まれても死体に近付く人間はいないだろうが、万が一のこともある。 顔面蒼白の役者やスタッフを見張りつつ、絶命した平井を見下ろす。 (どうして平井さんが? 玲夏ちゃんの例の手紙の件と関係あるのか……さっきの平井さんの様子だと自殺ってことはそうだな)  共有のポットや急須を使った他の者達には異常がない。毒物はポットの中のお湯や急須の緑茶ではなく、“平井の湯呑み”に仕込まれていたと考えられる。  矢野はある人物に注目した。うつむいて表情はわからないが、その人の肩は小刻みに震えている。 警察を待つ間、矢野は震える肩の持ち主、速水杏里から目を離さないでいた。
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