第四章 雷雨、ところにより陰謀

5/12

105人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ
 ハーブ園での撮影後は一ノ瀬蓮と香月真由、加賀見泰彦が加わって琴ノ緒町の二宮商店街周辺での撮影となった。全体の撮影が終了した頃は午後8時を過ぎていた。 午後9時半。ホテル四階の中華レストランには黎明の雨のキャスト、スタッフが集まっている。今夜は撮影の中打ち上げだ。 『まずは亡くなったアシスタントディレクター、平井透さんへ黙祷を捧げます』  助監督の合図でその場にいる全員が今朝死亡した平井透へ手を合わせた。警察が平井の死を自殺と判断したことで、キャスト、スタッフ達は平井は自殺したものだと思い込んでいる。 真実を知るのはこの中にいると思われる犯人Bと、なぎさ、矢野、玲夏、蓮のみ。 『……それでは今後の撮影も何もトラブルがないことを祈り、キャスト、スタッフが最高の仕事ができるように、乾杯っ』 約1分間の黙祷の後、乾杯の掛け声がかかってグラスが合わさる音があちらこちらで聞こえた。玲夏に送られた殺人予告、平井を殺害したかもしれない犯人Bの存在、この状況下ではいつ何が起きるかわからない。  矢野となぎさはアルコールは乾杯の時に一口飲む程度に留めてソフトドリンクでこの場をやり過ごす。しかし他のキャストやスタッフは打ち上げが進むとすっかりほろ酔い気分になっていた。 なぎさには男性スタッフが、矢野には女性スタッフが絡んでいる。立食形式の会場で矢野の周りは女性スタッフだらけになっていた。 「矢野さんと秋山さんって付き合ってるんじゃないかって噂になってるんですよ」 『そうなの?』 「そうですよぉ。付き人同士で怪しいよねぇって。矢野さんスタッフに人気あるんですよ。一ノ瀬さんと並ぶとイケメン二人組で絵になるぅって!」  女性スタッフの話し相手をしつつ矢野の目は会場に散らばる北澤愁夜や加賀見泰彦を捉えている。速水杏里や香月真由の姿は残念ながらここからでは見えなかった。 (女の子は大好きだけどここまでくっついて来られると容疑者の監視ができねぇなぁ……) 若い女性スタッフが矢野の腕に絡み付く。赤い顔をした彼女は潤んだ瞳で矢野を見上げた。 「矢野さん。この後、お部屋に伺ってもいいですか?」 『あー……ごめんね。今夜はまだ仕事が残ってるんだ。また今度、ね』 また今度は永遠には訪れない甘い嘘。そんな嘘を信じてしまう女に多少の罪悪感はあるが、これが大人の世界だ。 (真紀ちゃんに違法捜査させてる時に俺が女とイチャイチャ遊ぶわけにはいかないだろ。そんなの真紀ちゃんの鉄拳食らうぞ。まぁちょっとはヤキモチ妬いてくれたら嬉しいけどさ) 好きな女とはなかなか距離が縮まらず、好きでもない女との距離は勝手に縮まる。恋愛だけはどうしてもままならない。  なぎさを見ると男性スタッフに囲まれて困り果てていた。 (なぎさちゃん、まーた囲まれてる。早河さんも狼の檻にウサギを放り込むようなことしたよな) 蓮と目が合った。蓮もなぎさを心配しているようだ。矢野は女の群れを抜け出して蓮のもとへ向かった。          *  なぎさの横を陣取る男は酔いが回った顔を彼女に近付けた。 『秋山さん、彼氏いないなら好きな人はいるの?』 「好きな人ですか? えっと……」 「あー! 秋山さんの顔、赤くなってるぅ。やっぱり好きな人いるんだぁ」 中西というタイムキーパーの女性がなぎさの変化にいち早く気付いた。なぎさは身ぶり手振りで否定する。 「違いますっ! これはお酒で……」 「秋山さん全然お酒飲んでないじゃない。苦しい嘘はダメよぉ? ほらほら、好きな人いるならいるって言っちゃいな! そうすればこの飢えた男達も退散するから」 『飢えた男達って中西ちゃん酷いなー。秋山さん本当に好きな奴いるの?』  全員が成人済みの社会人なのに彼らのノリはまるで修学旅行の中学生だ。いくつになっても酒の(さかな)に盛り上がるのは噂話と恋愛の話。 視線を彷徨(さまよ)わせると矢野と蓮がにやけた顔でこちらを見ていた。 (矢野さんも一ノ瀬さんもなんであんなにニヤニヤしてるのよー!) 「好きな人は……います」 なぎさの回答に女性陣は盛り上がり、男性陣は落胆している。好きな人がいると言った瞬間に早河の顔が浮かんで、なぎさは自分でも困惑していた。 「新入りの歓迎会はそのくらいにして、そろそろこの子を解放してあげてね」  それまで監督や助監督と飲んでいた玲夏の鶴の一声で、なぎさを囲んでいた者達はバラバラに会場内に散っていった。 マネージャーの沙織を引き連れた玲夏がなぎさに歩み寄る。 「このドラマのスタッフ達は賑やかで良いんだけど、社交的過ぎるのが問題よね。大丈夫?」 「はい。ありがとうございました。対応に困っていたので助かりました」 「いいのよ。でも蓮も一輝くんも近くにいたのに人が悪いわね。なぎさちゃんが困ってるのをわかってたなら助けなさいよ」 ジロリと玲夏に睨まれた矢野と蓮はまだニヤニヤ笑っていた。 『なぎさちゃんが顔赤くしてるのが可愛くてさ。なぁ、一輝?』 『そうそう。好きな人いるって答えた時、誰の顔思い出してたのかなー?』 「えっ……いや、別に……」  矢野と蓮にからかわれてさらに顔が熱くなる。早河の顔が脳裏にちらついて離れてくれない。 「私の大事な付き人を(いじ)めないの。なぎさちゃん、少し外に出ましょうか」 「けど、主演の玲夏さんがここにいないと……」 「平気平気。私、昔からこういう集まり苦手なのよね。ちょっと気分転換したいの。後は沙織が上手くやってくれるよ」 玲夏がマネージャーの沙織に目配せする。沙織は溜息をついて腕時計を見た。 「そうね、玲夏ひとりだと心配だけど二人なら15分は離れていても大丈夫よ」 「……って、敏腕マネージャーも言ってるから。行きましょ」  隠れてイタズラをする子供みたいに笑う玲夏に連れられて、なぎさはレストランの外に出た。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

105人が本棚に入れています
本棚に追加