第四章 雷雨、ところにより陰謀

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 新神戸駅の新幹線ホーム。なぎさ達は11時6分新神戸発、東京行きの新幹線の到着を待っていた。  容疑者リストのひとりである平井透の死というアクシデントは起きたが、どうにか玲夏の身の安全は守れた。【黎明の雨】の撮影も残すところ東京のスタジオ撮影のみだ。 これから新幹線に乗ると早河にメールを送ったなぎさの隣で、矢野は盛大な溜息をついていた。陽気な彼には似つかわしくない溜息だ。 「矢野さんどうしました?」 『蓮さんの機嫌が朝から悪いんだよ』 「一ノ瀬さんの?」  なぎさはホームにいる一ノ瀬蓮を見た。行きと同じくキャップを目深にかぶり、サングラスをかけている蓮の隣には彼のマネージャーがいる。 蓮はマネージャーと会話をしているようだがその表情はキャップとサングラスに隠れて見えない。 わかることは佇まいが凡人とは明らかに違っていた。蓮はそこにいるだけで目立つ人だ。 「特に普段と変わらないように見えますけど……」 『でしょ? でもなぁんか、違うんだよ。必要なこと以外はほとんど喋らねぇの。打ち上げの時はそんなことなかったのに』 そう言われると、なぎさも今日は蓮とは一言も会話をしていない。朝食の時に挨拶をしたっきりだ。その時の蓮は確かになぎさの知る一ノ瀬蓮とは違っていた。 「打ち上げの後に何かあったんでしょうか?」 『かもね。普段明るい人がだんまりだと気ィ遣うし調子狂うんだよな。逆に早河さんみたいに普段あまり喋らない人が言い訳がましくペラペラ話し出すのは見てて面白いけどね』 「言い訳がましくペラペラって……所長が言い訳してる場面なんて想像できないなぁ」  帰りの新幹線では座席で揉めることはなく、行きの新幹線でトラブルメーカーだった速水杏里も大人しくマネージャーの隣に座っていた。 新神戸駅を11時6分に発車した新幹線は13時46分に品川駅に到着した。 東京に着いてからは玲夏はCM撮影、蓮は他局のドラマの撮影でそれぞれマネージャーと共に現場に向かった。他の役者やスタッフ達も散り散りに次の仕事に向かう。  なぎさと矢野は吉岡社長への調査報告のためにタクシーで港区のエスポワール事務所に向かった。なぎさがエスポワール事務所を訪れるのはこれが三度目になる。 玲夏と蓮の所属する芸能プロダクション、エスポワールの社長室で二人は社長の吉岡と対面した。 『平井さんの件は御愁傷様だが、玲夏と蓮が無事なら私はそれでいいんだ。二人ともよくやってくれたね』 神戸ロケの報告を一通り聞き終えた吉岡社長はまずなぎさと矢野を(ねぎら)った。 『しかし問題は乃愛か……。確かにあの子は蓮しか見えていない節はあるよ。でも乃愛が玲夏に何かするとは私には思えない。乃愛にとって玲夏と蓮は特別なんだ』 「特別……ですか?」 なぎさが吉岡社長の言葉を聞き返す。吉岡はうん、と小さく頷いた。 『乃愛の詳しいプロフィールは公開していないが、あの子は赤ん坊の頃に名前も付けられずに公園のトイレに捨てられていたんだ。まだへその緒がついたままでね。結局、母親は見つからなかった。父親も母親もどこの誰かわからない』  なぎさと矢野は突如知らされた乃愛の過去に驚愕する。席を立った吉岡社長は棚から雑誌を引き抜いて開いたページを二人に見せた。 3年前の乃愛が17歳の時に出場して優勝した美少女コンテストの記事が載っている。まだ垢抜けない17歳の美少女が微笑んでいた。 『乃愛は5歳まで施設で育ち、里親にもらわれて沢木乃愛となったんだ』 『美少女コンテスト優勝者が捨て子で施設出身……それは公なプロフィールとしては出せませんね』 『ああ。乃愛は赤ん坊の時から5歳まで育ててくれた施設の園長にも里親の沢木の家にもとても感謝していてね。今も給料の一部は里親と施設に仕送りしているんだ。ただ芸能界ってところは油断ならなくてね。どこからか乃愛が施設出身だと漏れて、専属モデルをしていたファッション誌のモデル仲間から捨て子だという理由でイジメを受けていたんだ』  乃愛が芸能界入りして3年前から専属モデルを務めているファッション誌は本庄玲夏も専属モデルをしていた〈シェリ〉だ。華やかな芸能界の舞台裏では陰湿なイジメが横行していた。 「酷い。乃愛ちゃんは何も悪くないのに」 『うん、まぁ……乃愛もね。あれで我が強くて見た目がいいことを自覚しているから元々同性とは上手くやれない質なんだ。そのファッション誌の撮影に玲夏がゲストで呼ばれた時に玲夏は乃愛がイジメられている現場を目撃して、乃愛をイジメていたモデル達を叱りつけてイジメを止めさせた。その頃からだな、乃愛が玲夏を慕うようになったのは。玲夏に憧れて芸能界に入った乃愛には助けてもらえたのが嬉しかったんだろう』 玲夏が憧れで目標だと語っていた乃愛の笑顔が浮かぶ。あの笑顔は演技ではないと思いたい。 『しかし乃愛の施設育ちの噂は広まり、うちの事務所内でも私の知らないところで乃愛はイジメに遭っていたらしい。そこを助けたのが蓮。あの通り、蓮は兄貴気質だから乃愛を放っておけなかったんだろうな。玲夏も蓮も何かと乃愛の世話を焼いているうちになつかれてしまったんだよ。乃愛にとって玲夏と蓮は恩人と言えるのかもしれない』  恩人……しかしそれがやがて蓮への恋心に発展し、玲夏への嫉妬が芽生えたとしたらどうなる? 人の気持ちはいつ豹変するかわからない。 愛が憎しみに変わる場合もあれば、憎しみが愛に変わる場合もある。 恋愛ほど不確かで曖昧で危ういものはない。 愛が絡めば人は神にも悪魔にもなれるのだから。
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