第五章 天泣、ときどき迷宮

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 乃愛のブログを遡れば、彼女が自分がCM宣伝しているヘアトリートメント、“天使のシャワー”を日常的に愛用していることや、コンビニスイーツの“イチゴのミルフィーユアイス”が好物なことも書いてあった。 6月7日更新の乃愛のブログ記事にもミルフィーユアイスの写真が掲載されていた。平井が6月7日にコンビニで購入したレシートの品と一致する。 平井の自宅から押収したミルフィーユアイスの容器からも乃愛のDNAが採取できた。 「……ふふっ。まさかチョコラの毛がついていたなんて。全然気付かなかったなぁ」 『津田と平井、速水杏里を操って本庄玲夏に嫌がらせをしていたことを認めるんだな?』 「ええ。探偵さん。あなたの言う通りよ」  乃愛の無邪気な笑顔に早河は背筋が寒くなった。こんな状況でそんな風に屈託なく笑える乃愛はまともな精神ではない。 『平井を殺したのも君だな?』 「殺したぁ? 乃愛は津田と平井に命令しただけで何もしてない。津田も平井もね、乃愛の奴隷なのよ。ちょっと可愛く甘えて身体を与えてやれば乃愛のために何でもしてくれる便利な奴隷。男って、若くて可愛い女が好きでしょ?」 腰を抜かして地面に座り込む津田を乃愛は冷めた目で見下ろしていた。 「だけどこのクズ男も平井も速水杏里も、みーんな役立たずねぇ。結局バレちゃって、乃愛のキラキラな計画が台無し」 『何がキラキラな計画だ。無関係な速水杏里の弱味に漬け込んで彼女に殺人の片棒担がせて、最後は君自身がその拳銃で津田を殺して殺人犯になろうとしていたんだぞ』 「殺人は平井が勝手にやったことよ。平井は玲夏さんを手に入れるために蓮さんを殺そうとした。だから逆にそれを利用して殺してやったの。バカな奴」 『やはり狙いは一ノ瀬蓮だな?』  拳銃を握る乃愛の手が震えていた。雨の匂いのする湿った風が乃愛の髪をなびかせる。 「乃愛には蓮さんしかいないから……。蓮さんを手に入れるためなら殺人でもなんでもするわ」 『一ノ瀬蓮を手に入れるためだけに、玲夏や自分の所属事務所に嫌がらせをして、あげくに速水杏里に玲夏を殺させようとしたのか?』 込み上げる怒りを抑えていても、速水杏里にやらせた玲夏の殺人未遂が早河の頭に血を上らせている。 「だって邪魔なんだもん。玲夏さん、いつも蓮さんの側にいて蓮さんに守られて当然って顔して……。玲夏さんが生きてる限り、蓮さんは乃愛のものにはならない。玲夏さんには死んでもらうしかなかったの」  乃愛の言い分はあまりにも子供じみていた。今年ハタチを迎える彼女だが、中身はワガママな子供だ。 『玲夏を殺したところで一ノ瀬蓮は君のものにはならない。もし彼が君を受け入れたとしても心までは手に入らないだろう』 「それでもいい。心が手に入らなくても、心のない人形でもいいから蓮さんが欲しかった。乃愛だけを見て、乃愛の側にいてほしかった」 「……あなたの気持ち、私にはわかるよ。私もあなたと同じ事を思った経験がある」  乃愛を威嚇し続ける真紀が優しく語りかける。乃愛は早河から真紀に視線を移した。 「好きな人が振り向いてくれないのは辛いよね。心は手に入らなくても彼の側にいたい気持ちわかるよ。でもね、心がないと虚しいだけよ。好きな人が想っている人は自分ではないと思い知って傷付くだけ。何も手に入れることはできないの」 乃愛を諭す真紀を矢野は見つめる。真紀が思い浮かべている人物を思い出して、矢野も心が痛んだ。 「何も手に入れることはできない……」  真紀の言葉を繰り返した乃愛の瞳から涙が落ちる。力無く下げた手から拳銃が滑り落ちて地面に落下した。 威嚇を解いた真紀が乃愛に手錠をかける。 『おっと。津田さん。どこに行くのかな』 『逃がしませんよー』  腰を抜かしていた津田は逃げ出そうとしたところを早河と矢野に挟み撃ちにされ、無謀にも早河に向かっていった津田の腹部に早河の拳が命中して津田は呆気なく倒された。         *  真紀は上司の上野警部に報告の連絡をしている。手錠をかけられてベンチにおとなしく座る乃愛に早河が近付いた。 『聞きたいことがあるんだ。この計画は君がひとりで立てたのか?』 早河を見上げる乃愛は答えるのを迷っているのか目を泳がせている。早河は屈んでベンチにいる乃愛と目線を合わせた。 『拳銃もどうやって入手した? 君がひとりでこの計画を立てたとは思えない。津田や平井以外にも協力者がいるんじゃないか?』 「……ファントム」 乃愛はガストンルルーが書いた有名なゴシック小説に登場する怪人の名前を呟いた。早河の疑念が膨らみを増す。 「この計画はファントムに与えられたの。拳銃もファントムが用意してくれた」 『ファントムとは誰だ?』 「知らない。会ったことないし……やりとりは電話とメールだけだから」  これ以上聞いても無駄だと判断した早河は乃愛に礼を言って彼女から離れる。話を聞いていた矢野が早河に耳打ちした。 『早河さん、まさかこの事件……』 『ああ。まさかのカオスのご登場かもしれない』  水滴が額に落ちた。見上げた暗い夜空からパラパラと雨が降ってくる。 雨脚は少しずつ強くなり、立ち尽くす彼らを濡らす。 『……嫌な予感がするな』
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