第二章 Doll house

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 渋谷区神宮前二丁目に所在する私立聖蘭学園の3年生の教室。 黒板にチョークが当たる音、紙をめくる音、隣の席の生徒が隠れてメールのやりとりをしている音、たまに聞こえる内緒話、授業中の教室は様々な音で溢れている。 (ハァ……眠いなぁ)  高山有紗は黒板に書かれた英文をノートに書き写しながら小さくあくびをした。昨夜は夜更かしして漫画を読んでいたのでとても眠い。 (まだ10時だよぉ。お昼休みまであと2時間もある) 襲ってくる眠気に耐え、何度かまばたきをしてシャープペンシルを握る。続きの英文を書こうとした時に力が入って芯を折ってしまった。 (ああ、もう。ついてない) 書きかけの不格好なaの字を消しゴムで消して、ペンケースからシャープペンシルの替え芯を取り出す。新しい芯を入れてようやく綺麗なaの字が書けたと満足した有紗の耳に非常ベルの音が届いた。 「火事?」 「えっ嘘……どうしたの?」 「何かあったの?」 「みんな落ち着いて! 放送が入ると思いますから静かに!」  校舎中に鳴り響く非常ベルの音に戸惑う教師や生徒達がざわついている。 「この音、うるさぁい。早く止まらないかな」 「うん、聴いてると頭痛くなるよねー」 有紗の前の席の生徒が顔をしかめて耳を両手で塞いだ。非常ベルはまだ鳴り響いていて、甲高い音に耐えきれずに有紗も耳を塞ぐ。 ベルの音に紛れて何か聞こえた。廊下を走る足音と共に教室の扉が勢いよく開いて隣のクラス担任の男性教師が慌てた様子で入ってきた。 『(たちばな)先生っ! 今すぐ生徒達を非常階段から避難させてください!』 「何かあったんですか?」 『詳しいことはわかりません。とにかく非常ベルが鳴って、その後で表にいるマスコミが騒ぎ始めたんです。男にいきなりナイフで切りつけられたって』 「切りつけられた?」  どよめく教室内に校内放送のチャイムが流れた。 {緊急事態が発生しました。何者かが本館に侵入した疑いがあります。本館にいる全生徒は貴重品を持って担当教師の指示に従って非常階段から体育館に避難してください。これは訓練ではありません。別館で授業中の生徒はそのまま別館の教室で待機、別館にいる先生方は大至急、別館の正面入り口と渡り廊下の入り口の施錠をお願い致します} 「侵入者?」 「マスコミが切りつけられたってそいつがやったの?」 「って言うか、なんでマスコミが学校に来てるの?」 「えー。訳がわからない」  事の重大さを理解しきれていない生徒達は悠長に携帯電話を見てメールをしたり、お菓子を食べている生徒もいる。 有紗も、昔の自分ならば彼女達と同じように危機感もなくこの時間を過ごしていたかもしれない。しかし今の有紗には不確かな予感があった。 これは嫌な予感だ。 「みんな逃げて!」 「救急車と警察!」  廊下から聞こえた叫び声の直後、幾つもの大きな足音にガラスが割れる音と女性の悲鳴が響いて、悠長に携帯を触っていた生徒達も青ざめた顔で動きを止めた。 「ねぇ……これヤバイよ」 「他のクラスの子達がこっちに逃げてくるよ!」 廊下側に面した窓から顔を覗かせた生徒が叫ぶ。 「貴重品だけを持ってすぐに動けるようにして!」  英語担当の橘教諭が指示を出す間も、有紗のクラスの前を何人もの生徒や教師が走って通り過ぎていく。 「早く逃げて!」 「ナイフ持ってるっ!」 「切られた子がいるの! 逃げないと襲ってくるよ!」 有紗のクラスに向かって、他のクラスの生徒が通りすがりに叫んだことで生徒達は血相を変えて教室を飛び出した。 「これ……血?」 「ヤバイよ! ナイフ持ってるって……」 「階段、1年と2年がいっぱいいて降りられないっ!」  生徒や教師が殺到してすしずめ状態の廊下はパニックに陥っていた。教室を一歩出た有紗もその光景に愕然とする。 廊下の床に点々と落ちる生々しい赤い液体は上を通った生徒の上履きによって擦れていた。
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