第二章 Doll house

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 隼人が芝公園に避難する少し前、午前10時50分過ぎ。渋谷駅で電車を降りた浅丘美月は明鏡大学に通じる青山通りを歩いていた。 今日の講義は午後からだ。早めに行って学食で時間を潰していよう。  紅葉を終えて葉が落ちた街路樹のケヤキ並木は夜になるとイルミネーションが灯る。 25日のクリスマス当日には人気ロックバンドUN-SWAYEDの初の武道館ライブに行く予定があり、今からとても楽しみだった。 (今日パトカー多くない? 何かあったのかな?)  渋谷駅を出てからの数分間で何台ものパトカーとすれ違った。怪訝に思いつつ通りを進み、宮益坂(みやますざか)上交差点を過ぎた辺りで美月は足を止める。 三浦英司が歩道に立っていた。 「三浦先生……」 『おはよう』 「……おはようございます。どうして先生がここにいるんですか? 先生の授業はもう終わりましたけど……」 三浦英司は月曜日の講義を担当している非常勤講師だ。彼が担当していたギリシャ神話と人間心理学の講義は一昨日にすべての授業内容が終了している。 水曜日のこの時間に明鏡大学に用がないはずの三浦がなぜ大学近辺にいる? 『今日は学校には行かない方がいい』 「行かない方がいいってどういうことですか?」 低音で囁かれた三浦の言葉に美月は眉をひそめた。 『行ったとしても授業どころではなくなる』 「あのっ! いきなりなんなんですか。意味がわかりません! 仮にも先生ならもっと順序立てて分かりやすく説明してください」 『減らず口が上手くなったものだな』 こちらを睨み付ける美月を見て三浦は苦笑する。距離を詰めてくる彼に対して美月は後退した。  細いフレームの眼鏡から覗く瞳を見るのが怖い。“あの人”と同じ瞳を直視できない。 三浦英司はあの人ではないのに。では誰? この男は……誰? 「あなた……何者なの?」 美月の問いかけに三浦の動きが止まる。彼は美月をしばらく見据えた後に背後を振り返った。 『迎えが来た。一緒に来てもらおう』  黒塗りの乗用車が美月と三浦の側に停車した。後部座席のスモークガラスの窓がゆっくり開く。開かれた窓から見えた顔に美月は息を呑んだ。 『やぁ美月。ご機嫌いかがかな?』 「……キング」 スモークガラスの先に現れた犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖が美月に向けて微笑んでいる。 美月は貴嶋を見て、それから三浦を見た。彼女の瞳に戸惑いと怒りが宿る。 「三浦先生はカオスの人間なの? 最初から……このつもりで?」 『美月。は私の命令に従っていただけだ。言いたいことがあるのなら私が代わりに聞くよ』 後部座席の扉を三浦が開ける。長い脚を伸ばして歩道に降り立った貴嶋は美月の目の前に立った。 『食事でもしながらゆっくり話をしよう』 「あなたと話すことなんかないっ!」 『ほう。では、これを押してもいいのかな?』  貴嶋は小さなリモコンを持っている。美月にも見えるようにリモコンを掲げた彼は透明なプラスチックの蓋に覆われた赤いボタンを指差した。 「何それ……」 『何だと思う?』 彼は美月をからかって面白がっていた。挑発的な態度にムッとした美月は彼の手元にあるリモコンを凝視する。 「何かのスイッチ?」 『ミステリーが好きな美月ならすぐにわかるものだよ。刑事ドラマを私は見たことはないが、そういうものにもよく出てくるのかな?』 「……ばく……だん……?」 『お見事。これは爆弾の起爆装置。私がこれを押せばある場所に仕掛けた爆弾が爆発する』  美月は言葉を失った。爆弾の起爆装置なんて非現実的だ。嘘を言ってからかわれているのかもしれないと思った。 でも相手は貴嶋佑聖だ。この男は犯罪組織の帝王、彼の存在によって非現実的なものが現実的なものに変わってしまう。 「どこに仕掛けたのっ?」 『推理してごらん。三浦先生がヒントをくれただろう?』 貴嶋は隣に控える三浦を手のひらで示す。無表情な三浦は何を考えているのかまったく読めないが、先ほどの三浦とのやりとりにハッとした。 「大学に?」 絞り出した彼女の声は震えている。貴嶋は満足げに頷いた。 『爆発の規模は……そうだなぁ、死傷者は出ないまでも多少の負傷者は出るかもしれない』 「やだ……やめて!」  無謀にも貴嶋の腕にしがみついた美月の肩を三浦が掴んで後ろに引く。よろめいた美月を三浦が支えた。触れられた部分から伝わる三浦の熱に心がおかしくなりそうだ。 『美月の友人の石川比奈……今は6号館の構内で自主勉強をしているようだ。彼女は将来は航空会社の就職を希望しているんだろう? 勉強熱心な子だね』 「比奈……? ねぇ! 比奈に何かしないで! お願い!」 美月の瞳に涙が滲む。貴嶋はそっと美月の髪に触れた。 『1分だけ時間をあげよう。お友達に連絡しなさい』  貴嶋の言葉をどこまで信用すればいいかわからない。それでも美月はバッグから出した携帯電話を比奈の番号に繋げた。
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