第三章 Bisque doll

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 赤坂ロイヤルホテル二十七階、2702号室が佐藤瞬の部屋だ。彼はまだ三浦英司の変装のままベッドに腰掛けていた。  ロックの音と共に扉が開かれて貴嶋佑聖が部屋に入ってくる。部屋の主の許可がなくても、貴嶋だけはこのホテルの部屋を自由に出入りできた。 『美月は部屋ですか?』 『ああ。たった今部屋に入ったよ』 貴嶋は窓際に寄って半分だけ閉められたカーテンを開けた。カーテンを開けた途端に明かりが部屋に差し込んでくる。 三十五階のレストランから見る絶景には劣るが、高層階の窓からは東京の街が充分に見下ろせた。 『美月は本当に面白い子だね。あの子はどうやら三浦に佐藤瞬を感じているようだ。三浦と佐藤が兄弟ではないかと聞いてきたよ』 『あながち的外れでもありませんね』 『彼女の勘の鋭さには私も驚かされる。美月自身は否定しているがあの子は三浦英司に惹かれているよ。君は変装をしていても美月に恋をされてしまうようだね』 『仮にそうだとしても特にどうなることでもありません』  佐藤は眼鏡を外した。裸眼で見る視界のピントが合うまで少し時間がかかり、周囲がぼやけて見えた。 『三浦として美月に接触することは今後は控えるべきではないでしょうか? 美月が三浦に佐藤瞬を感じているのなら尚更、俺は美月に近付かない方がいい。いつ佐藤瞬の変装だと見破られてしまうかわかりません』 『佐藤瞬が生きていることを美月に知られてしまうのが怖いか?』 窓際から身体を離した貴嶋は壁に背をつけて腕を組んだ。こちらを試しているような貴嶋の視線を避けて佐藤は目をそらす。 『ただの馬鹿な男の自惚れでしょうが……。俺が生きていることが美月の今後の人生にどのような影響があるのか予測がつきません。佐藤瞬は死んでいると思っている方が美月も楽でしょう』 『君の言い分はわかるよ。しかし君も美月も互いに必要以上に接触しなければ正体が知られる事態も防げる』 『それは……そうですが……』 『このままだと必要以上に接触してしまうかもしれない。キスのひとつでもしてしまえば美月にはすぐに正体がわかってしまうかもね。詰まるところ、君の不安の種はそこだろう?』 貴嶋には何もかも読まれている。見透かされている。 『今夜の夕食は美月の部屋でルームサービスをとって一緒に過ごしてあげてくれ。ひとりの食事は誰でも寂しいからね。あの子に寂しい想いはさせたくない』 『俺がいない方が美月にとっては気楽だと思いますが……』 『美月のことに関しては君はどこまでも消極的だねぇ』 『……キング。竹本邦夫がカオスの出資者だったことをどうして俺に隠していたんですか?』  ベッドの前を横切って部屋を去ろうとする貴嶋の背中に佐藤は疑問を投げ掛けた。 貴嶋は身体の向きを90度変えて顔を佐藤に向ける。その顔には笑みが浮かんでいた。 『君に教える必要がないからだよ。竹本邦夫はあくまでも出資者。カオスの人間ではない』 『貴方の秘密主義には慣れていますが、道理でおかしいと思いました。3年前に竹本晴也の彩乃への強姦とその隠蔽が明るみになって父親の竹本邦夫は議員を辞職した。しかしその後あっさり財団のトップになり悠々自適に暮らしていた。すべてキングが裏で取り計らっていたんですね』 佐藤はケースから煙草を抜き取って咥えた。貴嶋をねめつける彼の眼光は鋭い。 『そう怖い顔をするな。竹本が出資者であったことは過去の話だ。彼にはもう利用価値がなくなってしまった』 『だから殺したんですか?』  張り詰めた空気が漂う中で煙草の煙が揺れていた。 揺れる煙の向こう側に貴嶋の穏やかな表情が見える。彼は笑いながら人を殺す人間だ。 貴嶋が怒りの形相になることはまずない。 『君もわかっているだろう。私の財産を持ってすれば出資者など必要ない。私が彼らに求めるものは金ではない』 『彼らに財団などの組織を与えてその組織を使って貴方の人形を増やすこと』 『その通り。竹本邦夫は不要になった人形だから捨てただけだ』 『美月も貴方の人形にするおつもりですか?』 『美月は簡単には私のお人形さんにはならないよ。そこがあの子の面白いところだ。私はこれから出掛ける。留守の間の美月のことは頼んだよ』  何がそんなに面白いのか、貴嶋は笑いながら部屋を出ていく。煙草の煙の向こう側では絶対的な権力者の笑い声が響いていた。 美月を捕らえた貴嶋に佐藤は動揺し、反発していた。 美月には犯罪とは無縁の場所で平穏に生きてほしい。彼女には殺伐とした世界は似合わない。 (美月が三浦に惹かれているか……。参ったな)  どんなに互いに冷たく突き放してもどうしようもなく惹かれ合ってしまう。愛してしまう。 これが運命の恋と呼ぶのなら、なんとも残酷な運命だ。 残酷な、叶うはずのない両想いを自分達はどれだけ繰り返せばいいのか、佐藤自身にもわからなかった。
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