第三章 Bisque doll

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 早河仁は葛飾区の東京拘置所を訪れた。 警察庁の阿部警視の根回しのおかげで拘置所側に事情は伝わっている。すぐに事務室に通されて彼は目的の物を閲覧できた。 早河が閲覧している物は拘置所に勾留中の沢木乃愛の面会記録。 捨て子だった乃愛は施設で育ち、その後は里親の沢木家の養子に入った。乃愛の面会に定期的に訪れている人間は里親の両親、施設の園長、弁護士、乃愛のかつての雇い主の芸能プロダクションの吉岡社長の名前も記録にあった。  乃愛が矢野に告げた「神様が会いに来た」の言葉が気になっていた。もしもカオスの人間が拘置所にいる乃愛に接触を図っていたとすれば何らかの形で記録が残されているかもしれない。 『沢木乃愛の面会希望はほとんど身内と弁護士です。上からも沢木乃愛の接見には細心の注意を払うよう言われていますからまさかこんなことになるとは……』  早河の応対を任された主任刑務官は受刑者の脱獄に頭を抱えていた。責任の所在などこれから否応なしにマスコミや世間からの追及が待っていると愚痴を溢す刑務官に早河は記録簿を返却する。 記録上では乃愛に身内と弁護士以外の接触はなかった。乃愛への接触は面会ではなさそうだ。 『この数ヶ月の間に乃愛の周りで変わったことはありましたか? 乃愛だけでなく拘置所全体の出来事でもいいです。外部から誰かを招いただとか……』 『外部から……ああ、それなら受刑者の精神面のカウンセリングを先月行いました』 『それは先月のいつ頃?』 『まだ最近の話ですよ。11月の終わりです。公募で採用した処遇カウンセラーに受刑者のカウンセリングを頼みました』  刑務官はデスクの引き出しから取り出した書類の束をめくった。数枚めくって目当ての書類を探し当てた彼は書類の記述を読み上げる。 『カウンセリング実施日は11月28日、沢木乃愛もカウンセリングを受けています。担当カウンセラーは臨床心理士の神明という先生です』 『シンメイ? そのカウンセラーの履歴書はありますか?』 思い出せずにもどかしいが、その名前をどこかで聞いた覚えがある。 『少しお待ちください。あの、まさか早河さんはカウンセラーが沢木乃愛をマインドコントロールして脱獄を指示したとお考えですか? お電話をいただいた警察庁の阿部警視も似たようなことを仰っていたもので……』 『再逮捕された時の沢木乃愛の様子が異様だったんです。彼女の意思以上の力によって動かされている予感がします』 『でもなぁ。神明先生は無関係だと思いますよ。専門は犯罪心理学だそうですが人当たりのいい、穏やかな先生でしたから』 首を傾げて書棚に並ぶファイルを漁る刑務官を横目に、早河の脳裏に顔も知らない臨床心理士のぼやけた姿が浮かび上がる。 早河の直感が告げていた。沢木乃愛と佐伯洋介の脱獄の真相はここにある。 『あった、あった。これが神明先生の履歴書です。顔写真もバッチリですよ』  履歴書の名前の欄には達筆な文字で神明大輔と記入されている。名前の横に貼られた証明写真を見て早河は苦笑いを溢す。 ここまでドンピシャだとは思わなかった。まったく、嫌な勘ほどよく当たる。 『大胆不敵とはこの事ですね』 『はい?』 『主任は犯罪組織カオスのキングの顔をご存知ですか?』 『いえ……そもそも奴は指名手配はされていますが手配写真はありませんし、顔は知りませんね』 早河は刑務官の前に履歴書を置いて証明写真の部分を人差し指でトントンと叩いた。 『彼がキングです』 『……え?』 『神明大輔と名乗って拘置所で沢木乃愛のカウンセリングを行った臨床心理士、彼の正体が犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖なんですよ』  主任刑務官はあんぐりと口を開けて放心していた。
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