第三章 Bisque doll

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 東京拘置所を後にした早河は品川駅に向かっている。車内のデジタル時計が14:56になった。 岡山駅で新幹線を途中下車した高山政行は現在、東京に戻る新幹線に乗っている。 彼の乗る新幹線は15:23品川着だ。  啓徳大学病院精神科の高山政行のカウンセリングチームに神明大輔と名乗って貴嶋佑聖が潜り込み、部長の高山と同僚の麻衣子、そして恐ろしいことに高山の娘の有紗とも接触を図っていた。 早河が初めて神明の名を聞いたのも有紗からだった。夏に有紗と近所の夏祭りに出掛けた時に有紗が神明というカウンセラーの話をしていたのをようやく思い出した。 高山にはメールで大方の事情説明はしてあるが、彼の返信からは神明大輔と貴嶋佑聖が同一人物であることが信じられない様子だった。無理もないだろう。  携帯電話が鳴る。イヤホンに接続して早河は通話ボタンを押した。佐伯洋介が服役している府中刑務所に行かせた矢野一輝からだ。 {早河さんの読み、ビーンゴ。府中刑務所でも神明大輔と名乗る臨床心理士が佐伯のカウンセリングをやってました。カウンセリング日は11月26日} 『やっぱりな。佐伯と乃愛の脱獄は貴嶋の企てだったんだ。幻覚剤も貴嶋が与えたものだろう』 再逮捕された佐伯洋介と沢木乃愛は警察病院で検査を受けている。検査の結果、二人の血中から幻覚剤の成分が検出された。 {佐伯と乃愛が今日脱獄することは奴に仕組まれていたんですね} 『おまけに貴嶋は神明大輔の仮面を被ってこの1年、高山さんの下で働き、有紗のカウンセリングまで担当していた。恐ろしい奴だ』 {こんなに近くにいたとはね。ゾッとしますよ。神明大輔は戸籍上は何人か存在していますが、臨床心理士として啓徳大学病院に勤務する神明大輔は戸籍上ではひとりもいませんでした} 『貴嶋にとっては他人の戸籍を盗んで利用することも朝飯前だ。履歴書に書かれた住所にも別の人間が住んでいた』  貴嶋が神明大輔として提出した履歴書の中で嘘がないのは本人の証明写真のみ。そこがあの男の大胆不敵なところだ。 捕まえられるものなら捕まえてみろと挑発されている気がした。 {だけどいくら貴嶋の裏工作が用意周到でも、架空の人間を易々と受刑者のカウンセラーに採用しますかねぇ? 府中刑務所と東京拘置所のカウンセリング実施日や公募のタイミングも良すぎる。世間が貴嶋の都合のいいように回ってませんか?} 『拘置所と刑務所は法務省の管轄だ。現法務大臣の岩波(いわなみ)大臣はカオスとの繋がりが疑われている。カウンセラーとして貴嶋が確実に入り込めるように岩波が手を回したかもな』 {まじに今の日本には貴嶋の息がかかった政治家がゴロッゴロいますからね。うちの爺さんが珍しい部類なのかも}  矢野の伯父である現職の財務大臣、武田健造は早河と協力して貴嶋と犯罪組織カオスを潰そうとしている。 そもそもの発端は早河の父親の早河武志と貴嶋の父親の辰巳佑吾の因縁だ。 武田は志し半ばに命を落とした友人の無念を晴らそうとしている。 『竹本邦夫の方はどうだった?』 {ライフルで心臓を正確に一発。狙撃ポイントは南西方向、ちょうどその辺りにでっかいマンションがありましたからマンションの屋上から狙ったんだろうと上野さんが言っていました。まぁー……朝っぱらからライフルぶっぱなして心臓撃ち抜いちゃうスナイパーはスコーピオンしかいないでしょ} 『高木にEdenを見張らせているが田村は店に来てないようだな』 {どこに雲隠れしてるんですかねー。それとも虎視眈々と次のターゲットを狙ってるのか} 『竹本邦夫は始末目的だろうが貴嶋が次に狙うとすれば……』  早河は交差点で右折して見通しのいい一本道を走行する。 『矢野、すぐにタケさんの今日のスケジュールを確認してくれ』 {えっ……まさか爺さんが?} 『念のためだ。貴嶋にとって目障りな人間が誰かを考えれば奴が手を出しそうな人間も予想がつく。タケさんにはSPがついてるが阿部警視に警護の手配を頼む』 {了解} 身内の危険を察知した矢野もさすがに動揺していた。口では武田に対して悪態をつきながらも矢野にとっては両親の死後に面倒を見てくれた唯一の肉親だ。  これは貴嶋との互いに裏の裏をかく騙し合い。先に先手を打った者が勝つ、神経をすり減らす戦い。  早河の車が品川駅のロータリーに到着するとすでに高山政行が待っていた。挨拶もそこそこに高山を乗せて啓徳大学病院に向かう。 『まだ信じられません。あの神明先生が犯罪組織のキングだなんて……』 娘の有紗が佐伯に襲われ、信頼していた部下の正体を突然知ることとなり、高山にとって今日は疲労と気苦労の1日だろう。 『神明大輔はどのような経緯で高山さんのカウンセリングチームに加わることになったんですか?』 『私の恩師の紹介なんです。有紗のこともあってうちのカウンセリングチームはPTSD研究に力を入れてきました。そこで犯罪心理学に長けた心理士をチームに加えたらどうかと恩師に提案されて紹介してもらった方が神明先生なんです』 『恩師とはどのような方です?』 『日本の心理学界の権威とも言われている君塚(きみづか)忠明(ただあき)先生です。何冊もの著書と論文を発表されているとても優秀な方で……。大学時代の私の指導教官でもありました』  君塚と貴嶋が繋がっているのなら高山の懐に貴嶋が入り込めるよう、君塚が高山を誘導したに違いない。高山も優秀な精神科医ではあるが、その指導教官ともなればかつての教え子の高山をマインドコントロールすることも可能だ。 (君塚の素性とその周辺も調べた方がよさそうだ。次から次へと……俺の周りを荒らしてくれるじゃねぇか)
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