第四章 Marionette

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 サイレンを鳴らした小山真紀の車が目黒区緑が丘の住宅街に停車した。すぐ近くの道路脇に矢野の車が駐まっている。 サイレンの音に何事かと驚く近隣住民が玄関や窓から顔を覗かせてこちらの様子を窺っていた。  真紀が車を降りて君塚邸の敷地に入ると、慌てた様子で玄関から出てきた男と鉢合わせした。男は真紀を見ると懐から警察手帳を出した。 『警視庁警備部の林田です。一課の方ですよね』 「捜査一課の小山です。警備部がどうしてここに?」 『たまたまここを通りかかった時にこの家から不審な物音が聞こえたんです』 「その服についた血は? 鼻血も出てるようだけど大丈夫ですか?」 真紀は林田を一瞥して玄関に入った。林田も真紀の後に続いて玄関に入り、扉を閉める。 『ああ……ここに来る前にチンピラの喧嘩の仲裁に入りましてね、その時にちょっと』 「そうですか。……で、一輝はどこ?」 扉の鍵を施錠しようとした林田の右手首に手錠を嵌めた彼女は片側の手錠を玄関の手すりに繋いだ。手すりに繋がれた林田は拘束された腕をガタガタと動かして真紀を睨みつける。 『おいっ! なんだこれはっ!』 「女だからって油断した? 自分ひとりで仕留められると思った? あいにく、捜査一課にいる女はそんな(やわ)な女じゃないの。ごめんなさいね」 林田の胸ぐらを掴み、腹部に膝蹴りを喰らわせる。呻いた林田の膝が崩れ落ちた。 「さっきまであんたと一輝が話をしていたことは知ってるの。言いなさい。一輝はどこ?」 『……お前……』 「もし私が刑事じゃなかったら今頃あんたを殺していたかもね」  林田刑事を玄関に放って真紀は開け放たれたリビングを覗く。ここには誰もいない。 彼女は階段を駆け上がった。息を切らせて二階に上がった真紀は頭から血を流して倒れている矢野を見て絶句する。 「一輝っ! ねぇ……一輝!」  矢野の身体をゆっくり抱き起こして血が流れる頭を自分の膝の上に乗せ、呼吸がしやすくなるようにシャツの襟元を緩めてやる。 『……真紀……』 「遅くなってごめんね。救急車呼んだから……しっかりしてっ!」 頭部の出血部分にハンカチを当てて止血を行う。真紀の目は潤んでいた。 『あいつは……』 「ぶん殴って玄関に手錠で繋いで放置」 『ははっ。やぁっぱり真紀は……強いなぁ。俺の電話……聞いてた?』 「ちゃんと聞いてたよ。あの林田って刑事が君塚を殺したのね」  矢野が通話状態にしてコートのポケットに忍ばせた携帯は真紀の携帯と繋がっていた。矢野と林田の会話を電話の向こうで聞いていた真紀は君塚家で何が起きたか悟った。 「ひとりでこんな無茶して……殺されるところだったのよ……」 『悪い。でも……真紀が来てくれるって信じてた』 血色の悪い唇で矢野は笑った。彼は胸を上下させて苦しげに呼吸している。真紀は矢野の腰のベルトを外した。 『こらこら人様の家で……朝っぱらから……。真紀って脱がせるの好きだっけ?』 「バカ! 何考えるの!」 身体の締め付けから解放された矢野は強張っていた肩の力を抜いて真紀の膝に頬を寄せた。 『真紀の膝枕……いいもんだな……気持ちいい……』 「好きなだけいつでもしてあげるから……だからもう少し頑張って……!」 救急車のサイレンが聞こえる。真紀は上野警部の携帯に繋げて今の状況を説明した。 「……わかりました。はい、二階にいます。……もうすぐ上野警部と救急車が来るから! すぐに病院に運ぶからね」 『……真紀』  矢野は震える手を真紀に伸ばす。血に染まる彼の手を真紀は握り締めた。 『結婚……しよう……な』 まさかこんな瀕死の状態で真紀にプロポーズするとは思わなかった。本当は夜景の綺麗な場所で指輪も用意して準備を整えてから言うつもりだった愛の言葉。 でも今どうしても言いたくなった。 生きて、彼女を守るために。  真紀は強い。刑事としての彼女は強く凛々しい。 だけどその強さの鎧の内側に潜む弱さと脆さを矢野は知っている。本当は人一倍、怖がりで泣き虫だってことも。 今も彼女はこんなに泣いている。  真紀は涙を流して頷いた。涙でぐしゃぐしゃになった目元を拭うこともせずに彼女は矢野の手を両手で包み込む。 「うん、結婚する。一輝と結婚する。これから私の旦那になるんだからちゃんと生きててよっ!」 『……りょーかい……』 矢野がへへっと口元を緩くして笑った刹那、意識を手放した彼の瞼が下ろされた。
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