第四章 Marionette

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 カードキーが差し込まれた時の甲高い音が聞こえた。三浦は昼にまた来ると言っていたからおそらく彼だろう。 美月はソファーに座ったまま顔だけを扉に向ける。予想通り三浦英司が部屋に入ってきた。 『すぐに出る用意をしなさい。上のレストランに行く』 昼食はルームサービスではなくレストランのランチのようだ。美月は渋々スリッパからブーツに履き替え、三浦に促されて部屋を出た。  上昇するエレベーターが三十五階で扉を開ける。ここに到着した昨日の昼に貴嶋と食事をしたレストランが目の前に見えた。 昨日は三浦はエレベーターを降りず、美月と貴嶋の二人がレストランに入ったが今日は三浦も一緒にエレベーターを降りた。  昨日と同じウェイターに恭しく頭を下げられて出迎えを受ける。 店内のざわつきも昨日と同じ。都内で不可解な事件が多発しているのを知ってか知らずか、レストランにはセレブな貴婦人の集団が優雅なランチタイムを過ごしていた。 ウェイターの誘導で昨日と同じ個室に案内される。途中でセレブな貴婦人の何人かが美月の顔をちらちら見ていた。 こんな平日昼間の高級ホテルに子どもが紛れ込んでいると思われただろうか。美月は婦人達に軽く目礼して個室に入った。 『やぁ、美月。待っていたよ』  個室の四角いテーブルにはすでに貴嶋佑聖が着席している。貴嶋の出現に美月は顔を強張らせた。 「ランチはキングと一緒なのね」 『空き時間ができたから美月の顔が見たくなったんだよ』 昨日とは違い、三人分の席が用意されている。上座に貴嶋が、彼の向かいに美月と三浦が並んで座った。  全面ガラス張りの窓の外は雲に覆われて白っぽく霞んでいる。朝は綺麗な青空だった空は白と灰色の混ざる寒々しい曇り空に変わっていた。 『ここに来て24時間が経ったね。不便はないかい?』 「部屋の鍵が開けられないことがとても不便です。外からしか開けられないって何?私を閉じ込めて楽しい?」 むすっとした顔で美月はグレープフルーツジュースを一気に半分まで飲んだ。貴嶋の余裕に満ちた憎たらしい顔を見ていると我慢していた怒りが込み上げてくる。 美月の怒りの形相を見ても貴嶋は笑うだけ。彼は珍しいものを観察するように美月を見据えた。 『それでも昨夜は三浦先生とデートができて楽しかっただろう?』 「……バレてたんだ」 『バレていないと思った? でも美月が楽しめたのならそれでよしとしよう。次は私ともデートをして欲しいな』  思いの外、昨夜の三浦と出掛けた一件を貴嶋は咎めなかった。 隣の三浦を見ると平然と前菜のサラダを口にしている。少しは慌てたり狼狽えたりすれば人間味もあるのに相変わらず三浦は感情を表に出さなかった。 「あの、食事中にする話ではないけど、ちょっと気になること聞いていい?」 『なんでもどうぞ』 「どうして私の胸のサイズを知ってるの?」  その質問をした時の美月の顔は真っ赤だった。貴嶋が吹き出し、ほとんど表情の動かなかった三浦もスープを飲むのを止めて珍しく咳き込んでいる。 『ははっ。下着のサイズは間違いなかったようで安心したよ。サイズが間違っていると大変なんだろう? 胸は大切にしないとね』 「だからっ! なんで知ってたのよ!」 『それは私じゃなくて三浦先生に聞きなさい。私は美月の衣類を揃えるよう彼に指示を出しただけだよ』 美月は横目で三浦をねめつけた。三浦は溜息をついてグラスの水を口に含み、言いにくそうに呟く。 『目測だ』 「……もくそく? 見てサイズ測ったってこと? もしかして下着は先生が買ってきたの? あのヒラヒラ透け透けのパンツのデザインもまさか先生の好みなんじゃ……」 『勘違いするな。下着はカオスの女性部下に買いに行かせた。俺の趣味ではない』  美月と三浦の一連のやりとりを貴嶋が面白そうに見物していた。 三浦に扮する佐藤にとってはとんだとばっちりだ。好きな女の胸のサイズに関心がないわけではないが常にそんなことを考えてもいない。 美月の胸の大きさの大方の目測ができたのも3年前の彼女が17歳の時のサイズ感から予想しただけのこと。しかしそれを美月に言うこともできない。彼の背筋には冷や汗が滲んでいた。  貴嶋は肩を震わせてまだ笑っている。 『ヒラヒラ透け透けか。残念ながら私もセクシー過ぎる下着は好みではないなぁ。美月に似合うのならなんでもいいけどね』 「キングも笑顔でセクハラ発言しないでよ! キングも三浦先生も結局男って言うか……」 『そうだよ。私達も女性を前にすれば結局は男だ。いつも犯罪のことだけを考えているものでもない。君の胸のサイズにだって興味はある。安心した?』 「安心したような、余計に警戒したくなるような……」  ウェイターがメインの皿を運んでくる。今度の皿は和牛ロースのステーキだった。三人はステーキにナイフとフォークを入れる。 『さて、私も美月に聞きたいことがあってね。2年前にも聞いたことがあるのを覚えているかな。この世に神はいるのか、と』 「覚えてるよ。あの時も今もキングの質問の意味がわからない。どうしてそんなこと聞くの?」 『君の考えが知りたいからさ。この世に神はいると思う?』 こちらを直視して離さない貴嶋の視線が居心地悪い。神話学を語りたいなら大学でギリシャ神話を教えていた三浦に聞けばいいものを、貴嶋はあえて美月に質問してきた。 (神とは何だろ?)  美月が神と聞いて真っ先に浮かぶのは全知全能の神、ゼウス。関連してアダムとイブ、エデンの園に失楽園。教科書で学んだだけのギリシャ神話の神々の名が次々と思い浮かぶ。 そう言えば〈人類最初の女〉はパンドラの箱で有名なパンドラだったのか、天地創造のイブなのか、パンドラが実はイブだった? そうか、そういうことか。 「……神はいると思う」 『何故?』 「人間がいるから。神……英語ではgod、それって人間が名付けた名前でしょ? 神話も大昔の人が作ったもの」 ギリシャ神話、ローマ神話、日本神話、神統記を書いたヘシオドス、聖典の創世記、神にまつわる文献は人間が作り出したものだ。 『美月は人間が神と呼ばれる存在を創造したと考えたのかな?』 「よくわからないけど、そう思う。神が最初に人間を作ったのかもしれない。でもそれを神と名付けたり、崇めたり、神話にして伝えているのは人間だから……」 『とても興味深いね。君は発想が豊かで着眼点も面白い』  美月の答えに貴嶋は満足だった。 以前に彼は寺沢莉央にも同じ質問をした。 莉央に神はいるのかと尋ねると彼女は「いると思う。人間が存在しているから」と答えた。ここまでの答えは美月と同じ、しかし答えを導き出すアプローチは美月とは正反対だった。  ――「人間は神が創ったマリオネットなの。私もキングも地球という名の舞台で神に操られているマリオネットなのよ」――  人間は神のマリオネットだと答えた莉央、人間が神を産み出したと答えた美月。どちらの答えも面白い。 これは人の数だけ答えがある難問だ。
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