第四章 Marionette

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 混沌とした気持ちを抱えてランチタイムが終了した。 レストランを出た美月は貴嶋と三浦に挟まれてエレベーターに乗せられる。三浦が九階のボタンを押した。 「九階? 部屋に戻るんじゃないの?」 『美月を連れて行きたい場所があるんだ。きっと君が喜ぶ場所だよ』 嬉々とする貴嶋に不信感が募る。喜ぶと言われてもこの軟禁状態では何があっても喜べない。九階では外に逃げ出すのも不可能だ。  エレベーターが九階のフロアに到着した。扉が開いた瞬間にアロマオイルの甘い香りが美月を包み込む。 エレベーターを降りた先に見えたガラス扉が開かれてナース服に似た制服を着た女性が現れた。年齢は三十代の半ば辺りに見える。 「お待ちしておりました」  女性が美月を見て微笑んだ。戸惑いを隠せない美月は貴嶋と三浦に説明を求める眼差しを向けるが、三浦は壁にもたれて明後日の方向を見ているだけ。彼の無関心を装う態度が気に障る。 『今でも君は充分美しいが、さらに綺麗になっておいで。頼むよ』 「はい。お任せください」 少しだけ膨れっ面の美月の肩を貴嶋が抱いて、彼は女性に目を向けた。 「頼むって何を……」 「浅丘様、こちらへどうぞ」  貴嶋に聞きたいこと、言いたいことは山ほどある。しかし女性に促されて仕方なく美月は甘い香りが充満するガラス扉の向こう側に足を進めた。 自己紹介もしていないのに美月の苗字を呼ぶ女性に更衣室に誘導され、言われるがまま渡されたチューブトップのガウンに着替えた。 この空間に入った時から大方の予想はついていたがここはエステサロンだ。 ガウンを着た美月が連れて行かれたのはリクライニングチェアーが並ぶ施術ルーム。 「あの……私、エステの予約はしていませんが……」 「お連れ様からご予約を承っておりますよ」 お連れ様とはキングか三浦のどちらかだろう。いつの間に予約を?  カウンセリングシートと呼ばれる用紙に必要事項の記入をした後は座っていたリクライニングチェアーが倒されて美月の視界には明るく白い天井が映る。 (キングはどうして私をエステに連れて来たの?) 「まずはクレンジングから始めますね」  美月は目を閉じた。頭の中は多くの疑問で埋まっていても、エステティシャンの巧みなハンドマッサージを受けていると気持ち良さに眠気が襲う。顔に当たるスチーマーの蒸気も心地いい。 人生初のエステをこんな形で経験するとは思わなかった。美月の精神はいつの間にか、甘い香りが漂う極楽の世界に溶けていた。         *  美月を九階エステサロンに残して貴嶋と佐藤は九階から三十四階のラウンジに向かった。 三十四階のラウンジもひとつ上の三十五階のレストランと同じ全面ガラス張りだ。貴嶋はラウンジのソファーから曇り空に霞む東京の街を見下ろした。 『美月の仕上がりが楽しみだね。君もドレスアップした彼女を見るのが楽しみだろう?』 『まぁ……そうですね』 コーヒーを飲む佐藤は気のない返事を返す。貴嶋への疑念と戸惑いにまみれた美月に手を差し伸べることもできない己の不甲斐なさに彼は苛立っていた。 『美月が私のお人形さんになることに君は反発しているね?』 『そうではありません。ただ美月は誰の操り人形にもなりませんよ』 『わかっているよ。そこがあの子は面白い』  サングラスをかけた男と眼鏡の男が連れ立ってこちらに歩いてくる。サングラスの男はファントムの黒崎来人、眼鏡の男はスパイダーだ。 『おや、ファントムとスパイダー。君達もコーヒーブレイクかい?』 『仕事が一段落しましたので。ラストクロウ、隣いいかな?』 『ああ』 黒崎が佐藤の隣に腰掛け、スパイダーは貴嶋達とは少し離れたカウンター席についた。 『その三浦のマスク、我ながらいい出来だな。本物の三浦英司にそっくりだ』  黒崎はサングラス越しに佐藤が着用している三浦の変装マスクをまじまじと眺める。ハリウッドで学んだ特殊メイクで(つちか)った黒崎の変装マスクの特徴は本物の皮膚と同じような質感にあった。 見ている分には違和感がなく、カオスのメンバー以外は誰も、三浦英司が佐藤瞬の変装だとは気が付かない。 『マスクの不具合や粗はないか?』 『特には。強いて言えば顔が良すぎることだな』 『ははっ。そこは勘弁してくれよ。モデルの顔が良すぎたんだ』 黒崎の注文を聞いたウエイトレスが去った。スパイダーはカウンターの隅でノートパソコンを広げている。 このメンバーでは口数の多く社交的な黒崎が率先して話を始めた。 『林田が失敗したようですね。矢野一輝、命は繋ぎ止めたらしいですよ』 『そこも織り込み済みさ。林田はケルベロスのように手際よくは出来ないだろうと思っていたよ』  矢野を襲わせた警視庁警備部の林田刑事の処遇は手駒にしている笹本警視総監に言い含めてある。貴嶋にとっては林田も笹本も捨て駒だ。 先月に早河と雌雄を決して敗北したケルベロスと比べれば林田や笹本は切り捨てても惜しくはない。 『ケルベロスは人殺しに迷いがなかった。彼は業務を迅速かつ確実に遂行する。これから先もケルベロス以上の人材は現れないかもしれないね』 貴嶋が懐から取り出した煙草の銘柄はいつも彼が好む物ではなく、ケルベロスが愛煙していた銘柄だった。
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