第四章 Marionette

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 華やかなパーティーの雰囲気が苦手なスパイダーはネクタイをほどいて会場を出た。エレベーターホールに三浦英司の姿をした佐藤瞬を見つけた。 ホールの窓の向こうにはライトアップに輝く東京の街がある。 『姿が見えないからどこにいるかと思えばそんなところに。パーティーに出なくていいのか?』 『一応は死んでる身だからな。公の場は控えている』 『あー、そうだね。それに姫の前で誰かが君の通り名を呼べば姫に三浦英司の正体が知られてしまうしね』 窓を背にして立つ佐藤の横にスパイダーが並んだ。 『姫って美月のことか?』 『もちろん。あの子には囚われの姫の名前がお似合いだろう?』  ほどいたネクタイを首から抜き、スパイダーは首を回して凝りをほぐす。佐藤もスーツを着ているが彼はノーネクタイだ。 『でもいいのかい? このままだとあの子は一生キングの可愛い人形として囚われの身になる』 『今の俺にはどうすることもできない』 『意外と淡白だね。あの子に対して君はもう少し熱くなると思っていたよ』 『お前こそ、美月を気にするとは意外だな。スパイダーは他人に無関心だと思っていたが』 スパイダーは薄ら笑いを浮かべた。 『確かに。僕もどうして浅丘美月のことをこんなに気にかけているのか不思議だ。クイーンはお姉さん気取りで甲斐甲斐しく世話を焼いてあげてるし、スコーピオンは浅丘美月に死んだ娘の姿を重ねている』 『スコーピオンの娘と美月は同じ年だからな』 『そう。でもただ同じ年だからと言って、誰彼構わず死んだ娘と重なるものでもないだろう? 君も昔の婚約者と同じ年の女がいればその人に婚約者を重ねてみたりする?』  亡き婚約者の年齢を佐藤は数えた。彼女が生きていれば今頃自分はこの場にはいなかった。スパイダーも、スコーピオンもそうだ。 『外見や声が似ていれば多少はな』 『そっか。僕もわからないではないよ。でもどんなに重ねてみたところで、それは僕達が望む人ではない』 『ああ。死んだ人間と似た人間がいたとしても結局は別人だ』 『ただし、三浦英司は佐藤瞬だけどね。……キングが目をつけただけあって浅丘美月にはどこか、カオスの人間を惹き付ける何かがあるように思うよ。その何かはあの子を愛した君が一番知っているのかもね』  スパイダーは窓につけていた背を離した。彼は振り向かずにその場を立ち去る。 ひとりになった佐藤はスパイダーが残した言葉の意味に思考を巡らした。 (美月にはカオスの人間を惹き付ける何かがある……か)  会場の扉が開いた気配の直後、白いドレスの女性が小走りに飛び出して来た。あの姿は美月だ。 咄嗟にホールの柱の裏に隠れた佐藤は会場から出てきた美月の様子を窺う。彼女は挙動不審に辺りを見回していた。 (あいつ……逃げ出すつもりなのか?)         *  会場の外に出た美月はエレベーターホール手前にある館内図を凝視した。今いるのは三十二階パーティー会場。 三十五階建てのこのホテルは三十階から十一階までが客室、他の階はレストランやプール、エステサロンや結婚式場になっている。地下一階と地下二階は駐車場だ。 案内図で非常階段の表示を探した。ホテルは貴嶋の手の者で溢れている。ホテルにいるスタッフや客はすべてがカオスの人間の可能性を考えると誰にも見つからないルートから逃げるべきだ。 非常階段はエレベーターホールの反対方向にある。 「……行くしかないよね」  ヒールの高い靴では上手く走れない。彼女は靴を脱いで手に持ち、走った。エレベーターホールを横切ると緑と白の非常用マークが見えた。 静かな通路を走り抜けて誰ともすれ違わずに非常階段の扉に辿り着くことができた。  押し開けた扉の外には殺風景な灰色の空間が広がり、上から伸びる折り返し階段が下まで果てしなく続いている。 踊場の回数表示は32。地上に出るには長い道のりだ。 素足に伝わる冷たい感覚に顔をしかめて美月は階段を降り始めた。全速力で駆け降りて途中の踊場で息継ぎする。踊場の回数表示は21だった。 エレベーターなら一瞬の空間移動も、階段では気力と体力の勝負だ。 (まだ二十一階? 長いよ……なんでこんな無駄に高層の建物作るかなぁ)  東京には高層ビルが多すぎる……と今は文句を言っても仕方ない。非常階段を使わなければならない事態は早々起こらないと誰もが思っているのだから。  呼吸を整えて再び階段を降りようとした時に上の階の非常用扉が開く音が聞こえた。美月は息を殺して耳を澄ませる。 足音が一段ずつ階段を降りる音が響いた。 (誰かこっちに降りてくる? でもどうして? 非常階段なんか緊急時でもないと使わない……私を捕まえるため? それにしては急いで降りている様子がない) 足音が大きくなってきた。美月は姿勢を低くして音を立てないように階段の踏み板を降りる。上から聞こえる足音は一定の速度を保って降りてきていた。  相手が誰にしろ見つかってはいけない。このままのペースでいれば降りてくる相手に追い付かれてしまう。 床の冷たさでひりひりと痛む足の裏をさすってまた階段を降りた。駆け降りた拍子に耳につけていたイヤリングを落としてしまったが拾っている余裕はなかった。         *  美月が去った後の二十一階の踊場に佐藤が降り立った。二十五階の非常口から彼はわざと時間をかけてここまで降りて来た。 {十五階を通過したよ。ペースが上がったね} 耳につけたインカムからスパイダーの声がした。  ホテルの館内には至る場所に監視カメラが仕掛けてあり、非常階段も例外ではない。 各階の踊場の天井に仕掛けた小型カメラの映像からこちらの様子は筒抜けだ。 美月がどこに逃げようともすぐに居場所がわかるようになっている。 {どうする? まだ追いかける?} 『さて……どうするかな』  二十一階と二十階の間の階段に花の形のイヤリングが落ちていた。そのイヤリングは美月がはめていた物だ。 佐藤は片方のみのイヤリングを拾ってポケットに入れ、下へ続く階段を降りた。
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