第五章 Curtaincall

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 早河が手振りでキャプテンを呼び、キャプテンに頼んでホテルのガードマンをこちらに来させる。ガードマンに連れ出されるスパイダーをラウンジにいる人々が好奇の目で見ていた。 『JSホールディングスハッキングの痕跡から僕の居場所を突き止めたのは誰ですか? 警視庁のサイバー課? 科捜研?』  ラウンジの外に連れ出されたスパイダーが早河に尋ねた。早河は押収したスパイダーのノートパソコンを脇に抱えている。 『矢野だ』 『へぇ。意識取り戻したらしいですね。そうか。彼が……噂には聞いていましたがなかなかやるなぁ』 彼はひとりごちして首を縦に動かした。ガードマンとスパイダー、早河がエレベーターに乗り込み扉が閉まる。 『矢野はトラップをクリアすればお前に辿り着くと言っていた。今までのお前ならそんな仕掛けはしなかったとも不思議がっていた。わざと俺達に居場所をわかるよう小細工したのは何故だ?』 『あなたってキングの友人ですよね?』 『昔の話だ』 『昔か。僕は別にキングの崇拝者ではない。カオスに入ったのもちょっと手を出してはいけない領域に手を出してキングの怒りを買って、生き延びるにはキングの下で働くしか手段がなかったんです』  エレベーターは途中で客室階の二十四階と二十一階で停まったが、どちらも強面のガードマンと手錠を嵌められたスパイダーを見て躊躇した宿泊客はエレベーターに乗らなかった。 『だけど何だかんだやってきたらキングとの付き合いも8年になる。8年も付き合えば長年の友人のような感覚も生まれてきます。僕にはこんなに長い付き合いの友人はいない』 『それが俺達に居場所を教えた理由?』 スパイダーは肯定も否定もしない。彼は無表情に階数表示を見つめていた。 『そういえば僕の顔よくわかりましたね。どこかで写真でも手に入れました?』 『お前の大学時代の同級生から仕入れた』  エレベーターの扉が一階で開いて優美な装飾の天井と床が視界に飛び込んでくる。両側をガードマンに挟まれたスパイダーがエレベーターを降り、早河も続いて降りた。 『大学時代……誰から仕入れたんです?』 『提供者の名前は明かせない』 『写真の提供者は(つじ)加奈子(かなこ)……違いますか?』  早河はポーカーフェイスを繕っているが、スパイダーは自分の勘が正しいと察する。高校と大学の同級生である辻加奈子とは他の異性よりは親しい付き合いをしていた。 加奈子との友達以上恋人未満の関係は大学3年の夏を境に終焉を迎え、大学卒業後は完全に疎遠となった。彼女がまだ自分の写真を持っていたことも彼には意外であった。  ホテルの回転扉から続々と男達が入ってくる。先頭を切ってロビーを歩いて来るのは警察庁の塩屋だ。 阿部警視直属の部下の塩屋とは早河も何度か顔を合わせたことがあり、早河が塩屋に会釈すると向こうも会釈を返した。 『俺も聞きたいことがある』 『何ですか?』 『俺達が来る直前、ラウンジで誰かと一緒にいたか?』  スパイダーが座っていたカウンター席にはひとり分のコーヒーカップが置かれていた。それはスパイダーが使ったコーヒーカップだ。 彼の隣の席には何もなく、手近の灰皿の中身も空だった。 スパイダーが誰かと一緒にいたと思うのは早河の直感だ。もし早河と真紀がラウンジに入る直前にスパイダーの隣席に何者かがいたとすればそれはラウンジの手前ですれ違ったあの長身の男ではないのか。 早河とスパイダーは互いに視線をそらさず息を殺して相手の腹のうちを探る。やがてスパイダーが早河を見据えて薄く笑った。 『いいえ。ずっとひとりでしたよ』  彼がそう答えた直後、塩屋が率いる警察庁の人間がスパイダーを取り囲む。手錠を嵌められたままスパイダーは彼らに連行されていった。 ロビーに立ち尽くす早河の横顔を塩屋が窺う。早河は連行されるスパイダーの姿を苦々しく見送っていた。 『早河さん、今の質問にはどういった意味が? 早河さんがここに到着する前にスパイダーが誰かと一緒にいたと?』 『ラウンジの手前ですれ違った男がいたんです。そいつがどうにも気になって。男からは堅気ではない雰囲気を感じました』 『後でホテルのカメラ映像を確認しましょう』 『ええ。ここはカオスの連中がアジトとして潜んでいた場所のようです。ホテル内部の捜索を徹底する必要がありますね』  ホテルに貴嶋が出入りしていたとすればホテルスタッフにもカオスの人間か、貴嶋の支援者がいるだろう。 ここは貴嶋にとっての城、貴嶋の命令ひとつでフロントのホテルマンがこちらに刃物を向ける危険もある。早河はロビー中央の大きなクリスマスツリーの前で立ち止まって用心深く周囲を観察した。 『ホテルの部屋に浅丘美月が閉じ込められているようです』 『浅丘……ああ、例の明鏡大の大学生ですか?』 『そうです。小山が保護に向かっています。おそらく貴嶋のことも浅丘美月から詳しい話が聞けるでしょう』 ツリーの七色の電飾が光っている。もうすぐクリスマスだ。そんなこともこの頃は忘れていた。 『僕は面識がありませんが、どういった子なんでしょう? 聞いたところでは一般家庭の娘だそうですね』 『俺も3年前に顔を見たっきりですが、普通の女の子ですよ』 『そんな普通の女の子に貴嶋が執着する理由がわかりません』 塩屋が怪訝に思うのも(もっと)もだ。数々の凶悪犯罪を裏で指揮してきた犯罪組織のトップが大学生の少女を手に入れようと躍起になっている。 しかし貴嶋も誰でもいいわけではないのだろう。貴嶋の執着は相手が浅丘美月だからこそだ。 『浅丘美月は貴嶋のお気に入りなんですよ』  クリスマスツリーを見上げて早河は塩屋の疑問に答える。塩屋はさらに訳がわからないと言った具合に顔を歪めた。 『お気に入りって……?』 『3年前に浅丘美月は貴嶋に拉致されていますし、その後も奴は何度か浅丘美月の前に現れている。半年前の明鏡大の事件で浅丘美月が陥れられた際には寺沢莉央が手助けをしていた。貴嶋は相当、彼女を気に入っているようですね』 美月が貴嶋のお気に入りだと早河に教えた女がいる。自分がカオスの人間だと認めた沢井あかりだ。 半年前の夕暮れの対峙の後にあかりがアメリカに帰ったことは矢野の調べでわかっている。では、今回は……?
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