第五章 Curtaincall

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 正午前のニュースでは日米首脳会談は滞りなく行われ、この後はアメリカ大統領を交えての会食と視察が予定されていると報じられた。  新宿区四谷の自宅で早めのランチタイムを過ごしていたなぎさはニュースを流すテレビとは別の物音に反応した。携帯電話が鳴っている。 テレビを消し、携帯画面を見ると知らない番号からの着信だった。一瞬の迷いの後、彼女は用心深く通話に応答する。 「……はい」 {香道なぎささんでいらっしゃいますか? 警察庁の宮本と申します} 「宮本さん?」 {阿部警視の下に所属しております} 警察庁の宮本という名前に心当たりはなかった。彼の声をどこかで聞いた覚えがある気はするが、電波を通して聞けば誰の声であっても似たり寄ったりの声に聞こえる時もある。 阿部は早河と協力関係にある警察庁の刑事だ。宮本が阿部の部下と聞いてなぎさは警戒を緩めた。 {香道さんは非常に危ない立場にいます。キングが狙うとすれば早河さんの恋人であるあなたです。ご自宅にひとりでいるのは危険だ。こちらで完璧な警備体制の下、安全な場所をご用意しました。すぐにご自宅を出られるよう準備をお願い致します} 「えっと……それは阿部警視の指示ですか? 早河も承知のことでしょうか?」 {もちろん、阿部警視の指示ですよ。早河さんもご承知のことです。うちの者が香道さんのご自宅に向かっています。そろそろ到着する頃でしょう}  宮本の言葉通り、部屋に呼び鈴が響いた。宮本との通話を繋げたままインターフォンのモニターを覗くと玄関の前にスーツ姿の女が立っていた。宮本の声が携帯から聞こえる。 {誰か訪ねてきましたね} 「はい。スーツを着た女性が玄関の前に……」 {同僚の久保(くぼ)だと思います。眼鏡をかけて、髪をひとつに束ねていませんか?} モニター越しの女は確かに眼鏡をかけ、黒髪を後ろでひとつに結っている。モニター越しに彼女は警察庁の久保と名乗った。 {後は久保の指示に従ってください。私はご自宅の前でお待ちしています} 宮本は早々に通話を切ってしまった。用件だけを伝えてこちらの言い分を聞かない宮本のやり方に少々腹は立つがそんなことを言っても仕方ない。 (だけどあの宮本って人の声、最近どこかで聞いたことがあるのよね。阿部警視の部下ならどこかで会っていたとか?)  とりあえず玄関の鍵を開け、久保と対面した。久保は丸顔に眼鏡をかけた生真面目そうな女性だった。 「突然申し訳ありません。宮本から連絡がいっているとは思いますが」 「聞いています。安全な場所を用意したと宮本さんは仰っていましたけど具体的にはどこに?」 「警察庁が管理する施設です。詳細は後程ご説明しますので、まずは宿泊できる準備をお願い致します」 その詳細を今すぐ聞きたかったのだがこれも今は聞けないらしい。なぎさは久保を玄関に入れた。 靴箱を背にして直立不動する久保の視線を気にしつつ、クローゼットからキャリーバッグを出した。 「用意は何泊くらいですか?」 「そうですね……二泊ほどの用意で構いませんよ」  久保は警察庁職員の肩書きにはあまり似合わない純朴な顔立ちをしていた。年齢はまだ若い。20代の半ば辺りに見える。 顔は可愛らしいのだから生真面目な仏頂面ではなくもう少し愛想良くしていればこちらが受けとる印象も良くなるのにと思ってしまう。 早河と連絡を取ろうと思っても久保のいる前では話しづらい。阿部警視の指示であり、早河も承知と言われてもすべてを信用してもいいものか。 (ここからの避難が決まったのなら仁くんから私に直接連絡が来そうなものだけど……)  仕事用のノートパソコンや数日分の着替えをキャリーバッグに詰めて久保と共に自宅を出る。なぎさのキャリーバッグを持った久保が先に通路を進み、二人はエレベーターで一階まで降りた。 「あっ……上野さんっ!」  マンションのエントランスを出た先に警視庁捜査一課警部の上野恭一郎の姿がある。彼の横には白い車が停まっていた。 早河の元上司の上野がいるのなら宮本と久保を信用していいのかもしれない。安堵したなぎさは彼に駆け寄った。 「上野さん、どうしてここに? さっき警察庁の宮本さんって方から連絡があって……」 なぎさの顔を見ても上野は無言だった。いつも温厚な彼の瞳が今は笑っていない。 「上野さん……?」 一歩ずつ近付く上野に初めて恐怖心を感じてなぎさは後退(あとずさ)る。 「違う……上野さんじゃない」 「上野警部ですよ」  なぎさの背後で久保が彼女の肩に触れる。ビクッと震えたなぎさの首筋に注射器の針が突き刺さった。 「騙してごめんなさい。少し眠っていてくださいね」 注射器の液体がなぎさの体内に注入された数秒後、目眩を引き起こしたなぎさの身体が前のめりに倒れた。上野の姿をした男が意識を失ったなぎさを抱え、久保が白い車の後部座席を開けた。  後部座席の奥には寺沢莉央が座っている。莉央の隣になぎさが寝かされた。 「なぎさも騙される完璧な変装。さすがね、ファントム」 『この日のために上野警部の顔を研究しましたからね。香道なぎさを信用させるには身近な人間に化けることが最も効果的です』  莉央に変装を褒め称えられて男の口元が緩む。上野の顔で覆われた男からは上野恭一郎ではない別人の声が発せられた。 それはファントム、黒崎来人のもの。なぎさに電話をかけてきた宮本と名乗った男と同じ声でもあった。 上野に変装した黒崎が助手席に乗り、運転席には久保が乗り込んだ。 「カナリーもご苦労様。名演技だったわよ」 「お恥ずかしいです」  久保と名乗っていたカナリー、沢井あかりは束ねていた髪をほどいて豊かなセミロングの黒髪を背中に流した。あかりの運転する車がなぎさのマンションの前から動き出す。 「外に出るなって言われているのに簡単に騙されて。早河さんに心配かけるようなことしちゃダメでしょう? なぎさ」 莉央は隣に横たわるなぎさの髪を優しく撫でた。
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