第五章 Curtaincall

12/20

98人が本棚に入れています
本棚に追加
/93ページ
 日米首脳会談を終えた大河内(おおこうち)首相を乗せた車が永田町の首相官邸を後にする。首相とアメリカ大統領はこの後、老人ホーム訪問や小学校訪問、大学での講演会に出席する。 首相を乗せた車の移動ルートは外務省幹部しか知り得ないトップシークレットの情報だが、犯罪組織カオスにはトップシークレットの情報を盗み出すのは容易いこと。  スコーピオンが構えるライフルのスコープは最初の訪問先である小学校に向かう移動ルートの中間地点を捕らえていた。ここで待っていれば獲物が飛び込んでくる。 まず車輪を潰して車の動きを封じ、首相が車から出てきたところを一発で仕留める。運転手もガードマンもひとり残らず撃つつもりだ。 ビルの屋上に吹く冷たい風など彼は一切感じなかった。それどころか待ちに待った最高の瞬間の訪れを目前にして動悸が速くなっている。 手を伸ばせば届きそうな青い空と太陽の下でスコーピオンは静かに時を待つ。首相の車が近付けば左耳のイヤモニに仲間から連絡が入る手はずだった。 『どれだけ待っても大河内首相の車は現れないぞ』  イヤモニをつけていない右耳から思わぬ人物の声がして彼は顔を上げた。ライフルを構えたまま後方に視線を向ける。 『お前は……警視庁の上野……』 屋上の扉の側に上野恭一郎が立っていた。上野も拳銃を構えてスコーピオンを威嚇している。 『何故この場所がわかった?』 『お前達の狙いが首相の命なのはわかっていた。だからフェイクを仕掛けた』 『……まさか偽の情報を流したのか?』 『そうだ。首相を狙うのは日米首脳会談後の視察時だと踏んでいた。スパイダーが外務省幹部のPCをハッキングすることも読めていた』 強い横風が上野とスコーピオンの間を鋭く切り裂いた。上野の背後にいる数名の警官隊もスコーピオンを威嚇する。 『だからあえてスパイダーにハッキングさせたんだ。スパイダーに掴ませた首相の移動ルートの情報はフェイク。そのフェイクのルートからお前が選びそうな狙撃ポイントをいくつか割り出し、お前を待ち伏せしていたんだ』  スコーピオンはライフルのトリガーにかけた指を離さず苦笑いする。ライフルのセイフティーレバーはまだ外れていない。 『首相暗殺は諦めるんだな。ライフルを下に置き、両手を上げろ』 短い溜息をついたスコーピオンはライフルを地面に置いてゆっくり腰を上げた。 『あれがフェイクだとはね。上手いこと騙されたな』  腰に下げたホルスターから抜き取った拳銃から銃弾が発射される。スコーピオンが撃つよりも数秒速く上野が発砲したため、上野が撃った弾がスコーピオンの右肩に命中した。 狙いを外したスコーピオンの放った銃弾は宙を斬って屋上の塀にめり込んだ。 『スコーピオン……いや、元自衛隊特殊部隊所属、田村克典。ライフル射撃の世界大会で優勝したその腕前を何故暗殺なんかに使った?』 『この国は腐ってる。だから枠組みから変えなきゃならない。キングの下で日本を新しい国に創り変える。そのためにはこの国の絶対的権力を支配する必要があるんだ』  上野に撃たれた右肩を押さえたスコーピオンは息を荒くして呟く。血の滲む手が懐に伸び、彼はもうひとつ隠し持っていた小型の銃をジャケットの内ポケットから引き抜いた。 『お前が国家を憎悪する理由は家族を殺されたことが原因だろ? 国家は国にとって脅威となる存在の抹殺をお前にやらせていた』 上野の銃もまだスコーピオンに照準が合わさっていた。 『そう。俺が世界大会で優勝したあの時から……。科学者、警察上層部、政治家……国の命令で何人殺したかわからない。でもそれが命令だった。俺は職務を全うしていると思っていた。……94年のあの日までは』  田村克典が自衛隊を除隊した1994年に田村の妻と当時5歳の娘が死んでいる。 『国家は信じられない命令を俺に下した。子どもを殺せと、命令してきたんだ。俺の標的となったのはまだ11歳の少年だった。少年の父親はある宗教団体の教祖。マッドサイエンティストの気もあった教祖は海外のテロリスト集団とも関係が深かった。国の目的は宗教団体壊滅と教祖の一族を根絶やしにすること。殺しのリストには団体幹部の子どもも多く含まれていた』 虚しく悲しい独白だった。この国が国家維持の名目でどれほどの人間の命を大義名分を掲げて奪ってきたのか。上野はやるせない思いに駆られた。 『俺は……少年を殺せなかった。実行しようとしても、つぐみの顔が浮かんで……。こんな何人も人殺しをしている俺をパパと呼んでくれた娘の顔がよぎってどうしても殺せなかった。任務を遂行できなかった俺に下された制裁は家族の命……。俺は国に家族を人質に取られていた事をわかっていなかったんだ。俺が命令に背いたせいで妻と娘は国に殺された!』 『よせっ!』  銃弾が地面に数発撃ち込まれた。上野達が銃声に怯んだ隙に肩から血を滴らせたスコーピオンは鉄柵の手すりを軽々飛び越えた。 柵の向こうの足場は子どもの足の幅程度しかない。スコーピオンは手すりを掴む手とは反対側の手でこめかみに銃を突きつけて笑った。 『キングが俺の前に現れた時、あの方こそ真の神だと思った。俺はキングに救われた。キングならばこの腐りきった国、腐りきった世界を創り変えられる。すべては天地創造のために……』 トリガーが引かれ、鳴り響く銃声と上野の叫び声が重なる。最期の瞬間、彼は笑いながら地上に落下した。
/93ページ

最初のコメントを投稿しよう!

98人が本棚に入れています
本棚に追加