第五章 Curtaincall

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 劇場と呼ばれる場所には独特の空気がある。舞台、客席、オーケストラピット、舞台袖、楽屋……それぞれの場所に物語(ドラマ)があり、あらゆる人間の心に物語(ドラマ)が生まれる。 ロビーを一歩入るとそこには夢を体感する場所が待っている。時には現実のような夢を、時には夢のような現実を魅せる劇場はまさに白昼夢。  帝国劇場の座席に座る貴嶋佑聖はなぎさの携帯電話を莉央に渡した。莉央は受け取った携帯の電源をオフにしてコートのポケットに仕舞った。 「最後のお遊び、愉しそうね」 『2年越しの対面だからね。フィナーレを迎えるにはここは最高の場所だ』 静けさの漂う劇場のホールには貴嶋と莉央だけがいる。二人の前には緞帳(どんちょう)の降りた大きな舞台。 莉央が座席を立った。 「なぎさの様子を見てくる」 『行っておいで。……なぁ莉央。私が早河くんを殺した後、君は香道なぎさを殺せるかい?』 座席と座席の間の通路に立って振り向いた彼女は柔らかく微笑んだ。 「早河探偵がいなくなった世界であの子を生かしておく方が可哀想よ。だから私が殺してあげるの」 『友達として?』 「そう、友達として。キングも同じでしょう?」  貴嶋の肩に手を添えて身を屈めた莉央は貴嶋と唇を重ねた。キスを交わした莉央はローズの残り香を香らせてホールの外に出ていき、その場に残る貴嶋は静寂のホールを見渡した。  スコーピオンが首相暗殺に失敗して自殺したことも、スパイダーが警察の手に落ちたことも貴嶋の耳に入っている。 計画は失敗? いや……ここからが犯罪劇の愉しい場面。クライマックスに向けて物語は盛り上がる。 『さて次は……誰の番かな』         *  有楽町駅から徒歩10分の鉄筋コンクリート十二階建てマンションの九階で佐藤瞬はエレベーターを降りた。九階の一番奥の部屋は鍵がかかっていなかった。 玄関を入るとすぐに二帖程度の簡素なキッチンが出迎えてくれる。単身者向けの典型的なワンルームマンションだ。  キッチンと奥の洋間を隔てる扉が開いて黒崎来人が顔を出した。今の黒崎は上野恭一郎の変装を解いているが、佐藤は黒崎が造った三浦英司のマスクを着用している。 『来たのか。今日の君の仕事は別にあると聞いているが……』 『ああ。をしに来た』 佐藤が懐から取り出したマカロフの銃口が黒崎に向けられた。突然の凶行に黒崎は青ざめた顔を左右に振る。 『……おい待てよ……。冗談だろ?』 『悪いな。これが命令なんだ』 『命令? 誰の……』  三浦英司の姿をした佐藤瞬に恐れおののく黒崎は恐怖で体が萎縮していた。ここにいる男は佐藤瞬、そう思ってはいてもあの男の亡霊が自分を殺しに来たのではないかと錯覚してしまう。 昔、自分が殺した男と同じ顔を目の前にして狼狽えた黒崎の動きは鈍かった。 黒崎が自身の拳銃を取り出す前に佐藤のマカロフのトリガーが引かれる。サイレンサーをつけた銃からわずかな発砲音を伴って放たれた銃弾が黒崎の頭を撃ち抜いた。  白い壁に鮮血が飛び散り、心臓を強制停止させられた黒崎来人の亡骸が冷たいフローリングの床に横たわった。
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