第五章 Curtaincall

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 早河は帝国劇場のエントランスに入った。中に入ると真っ先に飛び込んでくる金色の筒型照明が眩しく光っている。  東京に生まれ育って31年になるが早河が帝国劇場を訪れるのは今日が初めてだ。演劇観賞の趣味など皆無の早河にとって劇場は無縁の場所。 せいぜい元恋人で女優の本庄玲夏が出演する舞台を観賞する目的でしか劇場に足を運ぶ機会はない。こんな形で日本演劇の最高峰の場所を訪れることになるとは思いもしなかった。 紫色の絨毯が敷かれたロビーを歩く。吹き抜けの天井からはスチール製の(すだれ)が垂れ下がり、ステンドグラスの光を鮮やかに反射していた。 奇妙なことに人の気配が全くない。チケット売り場にも売店にもスタッフの姿はなく、館内は静寂に包まれている。  一階の5番扉を開けてホールに入る。明るいホールには客席が並び、緞帳の上がった大きな舞台が正面に見えた。 A席の列を抜けてS席の列に入る。R、Q、P……アルファベットを逆順に進み、ホール中央辺りJ列の横で早河は立ち止まった。  照明の灯る壇上に男が立っている。早河がホールに入った時からずっと、彼は身動ぎせず早河の動きを見ていた。 『久しぶりだな』 早河は壇上の男、貴嶋佑聖に話しかけた。ホール内では声がよく響く。貴嶋は悠然とした態度で微笑んだ。 『2年振りだね。健勝で何よりだ』 『お前を捕まえるまでは死ねないからな』  客席と壇上で向き合う早河と貴嶋。14年前は隣に並んで帰り道を歩いていたふたつの影法師はサヨナラと別れたあの日からもう並んで歩けなくなった。 『この2年間、最高にして最悪の形でどう君を葬るか計画を練ってきたんだ』 『それが一昨日からの一連の騒動か?』 『そう。私の最高傑作の人形劇だよ。君は私の計画に沿って足掻くマリオネット。愉しいお遊びだろう?』 人間を人形としてしか扱わず、高みの見物をして嘲笑うこの男には人としての大切な感情が欠落している。 14年前はどうだった? 梅雨の晴れ間に校舎の屋上で過ごした穏やかな時間を彼は忘れてしまったのか? 『その愉しいお遊びの為にどれだけの人間の命が危険に晒された? こんなものは最高傑作じゃない。ただの駄作、お前は最低な演出家だ』 『それは私には褒め言葉だよ。何の為に今まで君を殺さず生かしていたと思う? 君を殺すことはいつでも出来た。だが私は君を今日まで生かした』  貴嶋が腰のホルスターから拳銃を抜いた。彼の銃はワルサーPPK。 『この3日間は君の為に用意した演出だ。私の天地創造を成就するだけではつまらない。何事も障害があればこそ、達成した時の(よろこ)びは大きい』 『天地創造か。お前……14年前も神がどうとか言ってたな。お前は神になりたかったんだ。辰巳佑吾がなれなかったものにお前はなろうとした』  早河は14年前のあの日を追想する。真夏の暑い日差しの下、蝉の大合唱に紛れて聞こえた幼さを含む声。  ──“この世に神はいると思う?”── 『首相を殺し、官僚や政治家をお前のマリオネットにすげ替え、裏社会をカオスが牛耳る。いわば日本はお前のドールハウス。政治も経済も何もかもお前の手のひらの上で操られる。国民はお前の思うがままだ。14年前に辰巳佑吾が思い描いたプラン通りだな。辰巳はそうやって神になろうとした。お前も同じだ』 『父と一緒にしないでくれるかな。君がどこで14年前の父の犯罪計画を知ったは大方察しはつくが、私は父の時代以上のカオスを創り上げた。父は神にはなれなかった。でも私は違う』 貴嶋は右手に銃を、左手には小型のリモコンを持っている。あのリモコンが警視庁と警察庁、矢野がいる城南総合病院に仕掛けた爆弾の起爆装置だ。 『父は最後にミスを犯した。虎視眈々と反逆の機会を窺っていた私に気付かず、父は私に殺された。それが辰巳佑吾が神になれなかった敗因さ』 貴嶋の饒舌なモノローグに早河はかぶりを振る。 『お前も神にはなれねぇよ……』  早河の独り言と重なってホールに銃声が轟いた。呻き声をあげた貴嶋の身体が揺れ、ステージに赤い血が滴り落ちる。 さらにもう一発、貴嶋の太ももに銃弾が撃ち込まれ、貴嶋は起爆装置を手放した左手で太ももを押さえてうずくまった。  貴嶋が撃たれた瞬間も早河は冷静だった。彼は舞台の下手(しもて)を見る。貴嶋の右肩と太ももを貫いた銃弾は下手側から放たれていた。……打ち合わせ通りに。 『……なるほど』 すべてを理解した貴嶋は血が付着した自身の手のひらを見て高笑いした。やがて貴嶋の視線も下手側に向けられる。 『内通者はお前だったか。……莉央』  下手の舞台袖から拳銃を構えた寺沢莉央が現れた。平然と澄ます莉央は壇上から客席に繋がる階段を降り、通路に立つ早河の隣に並んだ。
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