第五章 Curtaincall

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 右肩と太ももから流れ出る血が貴嶋の足元を赤黒く染める。貴嶋はシャツの袖を引きちぎり、止血ポイントに巻いた。 『やはり、と言うべきかな。カオスの情報を漏らしている内通者が莉央ではないかと薄々予感はしていたよ』 「わざと私を泳がせていたのよね。スパイダーを使って私のパソコンや携帯をハッキングさせていたでしょう?」 『しかしスパイダーもお前に巧く言いくるめられてしまったようでね。莉央に反逆の疑いはないとスパイダーは報告してきたよ』  早河は四方に視線を動かして自分達のいる地点を確認した。早河と莉央がいる場所は縦に四つ並ぶ通路の左から二番目、J列23番と24番の間の通路。 ここから一番近い出入口は早河の左手方向にある1番扉と斜め方向の2番扉。 早河が動きのシミュレーションを重ねる間も莉央は貴嶋から銃口をそらさない。 「スパイダーが私の裏切りに気付いてもキングに報告しなかったのはスパイダーも気付いたからなのよ」 『気付いた? 何を?』  撃たれた痛みに時折顔をしかめる貴嶋は腰から抜いたベルトで太ももの止血を施した。莉央に銃口を向けられていても彼は飄々としている。 「貴方が辰巳佑吾のマリオネットだってことに」 それまで一貫して飄々とした態度を崩さなかった貴嶋の表情が初めて歪んだ。 『私が父のマリオネット?』 「ええ。貴方は辰巳佑吾が創り上げた最高傑作のマリオネットなのよ」 貴嶋の高笑いがホールに響き渡る。笑い転げた彼は客席の莉央と早河に侮蔑の一瞥をくれた。 『莉央。お前は昔からよく私を面白がらせてくれるね。なぜ私が父のマリオネットになるんだい?』 「14年前の辰巳佑吾のドールハウスプランの裏を知っている? 辰巳はね、貴方に殺されることまで計画済みだったのよ」 『父が望んで私に殺されたと言うのか?』 「辰巳佑吾のドールハウスプランは貴方に殺されることで完成する計画だった。辰巳は自分の力の限界を感じ、完璧主義者の彼は今の自分ではカオスを指揮できないと悟った。これは貴方のお母様が話してくれたこと」 『母が……そうか。母は莉央を気に入っていたからねぇ。私には話さないことを莉央には話していたのか』  14年前の1995年に辰巳佑吾が企てたドールハウスプランは君塚の自宅から回収したフロッピーディスクに計画の全容が記録されていた。当時の首相暗殺、政治家のすげ替えは今回の貴嶋の天地創造計画と同じだった。 首相暗殺は14年前も今回も失敗に終わったが、辰巳が進めていた政治家達へのカオスの布教活動の影響は大きく、武田財務大臣や一部の官僚を除いたほとんどの政治家と官僚は辰巳佑吾時代から犯罪組織カオスの信者、支援者となっている。  起爆装置に手を伸ばした貴嶋はリモコンのスイッチに触れた。 『どうせこれもお前が止めたんだろう?』 「さっき、ここで貴方と別れた後に早河さんに爆弾の解体方法のメールを送った。だけど解体作業の間に貴方にそのスイッチを押されると困るから早河さんには時間稼ぎをしていてもらったの」 早河が帝国劇場に到着する前に莉央から爆弾解体方法のメールを受け取り、そのメールは阿部警視に転送された。 警視庁、警察庁、城南総合病院に待機していた爆発物処理班が解体作業に入ったのを確認してから早河は帝国劇場に入った。  莉央の方には彼女の左耳に装着したイヤモニから解体完了の連絡が行っているはずだ。彼女はイヤモニを押さえて小声で早河に話しかける。 「阿部警視と機動隊が突入の準備に入った」 『わかった』 『二人で内緒話をするほど君達は仲良くなったんだね。莉央、お前は私が父親のマリオネットだから私の計画を邪魔したのか?』 身体を左右に揺らして貴嶋は身体を起こした。彼の上等な黒のスラックスは太ももから流れ出た血がこびついて変色している。 「辰巳の計画通り、貴方は辰巳を殺してキングを継承した。そしてまた辰巳の計画通りにこの国の支配者になろうとした。貴方は自分が人形遣いになった気でいたでしょう。けれど、本当のマリオネットは貴方よ。これはすべて辰巳佑吾の意志でしかない。貴方は辰巳に操られている意志のないマリオネット」  銃のグリップを握る莉央の手はわずかに震えていた。 「貴方が聖子(せいこ)さんを殺した時に私は裏切りを決めた。もう貴方が父親の操り人形となって人を殺す姿を見たくない」  彼女の脳裏に甦る4ヶ月前の夏の記憶。あの日は猛暑が数日続いた後の恵みの雨が降っていた。 貴嶋佑聖の母親、貴嶋聖子は14年前に渡米し、以降、彼女はロサンゼルスで暮らしていた。聖子が日本に戻ってきたことは14年間一度もない。 その彼女が今年の8月、14年振りに日本を訪れたあの雨の日に莉央は覚悟を決めた。
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