第六章 Runway

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 木村隼人と加藤麻衣子は霊安室の扉の前で足を止めた。二人を連れてきた上野警部が扉を開ける。  ベッドに寝かされた莉央の姿から麻衣子は目を背けた。まだ部屋にも入っていないのに彼女の視界はぼやけている。 隼人が麻衣子の手を握る。麻衣子が視線を上げると唇を噛んで真っ直ぐベッドを見据える隼人がいた。 『気が済むまで居ていいから』  二人に一声かけて上野が霊安室の扉を閉めた。隼人と手を繋いだまま、麻衣子は莉央の遺体に近付く。隼人と一緒にいなければ不安で怖くて一歩も動けなかっただろう。 「痛かったよね。苦しかったよね……」 もう話すこともできない莉央に語りかけた。7年振りの友との再会は生きて叶わなかった。 隼人も莉央へと手を伸ばす。彼女の冷たくて滑らかな頬にそっと触れた。 『やっぱりお前……死ぬつもりだったんだな』  隼人の悲痛な呟きに麻衣子も胸が押し潰されそうに痛い。 「あの夜に隼人の様子が変だったのって莉央と会っていたからなんだね」 『ああ……』  隼人が勤めるJSホールディングス爆破事件があった12月9日の出来事には続きがあった。         *  ――12月9日、JSホールディングス本社爆破後。芝公園野球場に避難した隼人を含む社員全員に自宅待機が命じられた。 社員達は散り散りに帰路を辿り、隼人も地下鉄の芝公園駅に足を向けていた。 芝公園駅の出口に到着する直前に誰かに名前を呼ばれた。美月の携帯は繋がらず、他にも気掛かりなことがあり考え事をしていた彼はその声がどこから飛んできたかわからない。 「木村先輩」  もう一度名前を呼ばれた。自分を先輩と呼ぶ人間は限られている。どこかで聞いた覚えのある声の主に気付いた隼人はハッとして振り向いた。 セミロングの黒髪を冬の風になびかせて彼女は立っていた。数年の時を経て雰囲気は変わっていても彼女の顔立ちには見覚えがある。 『……沢井』 「ご無沙汰しています」 隼人の前に現れた女は大学の後輩の沢井あかりだった。彼女は3年前の静岡連続殺人事件の直後に大学を中退し、アメリカの実家に帰ったと聞いている。 『帰って来てたのか』 「日本に少し用があって」  彼女はヒールの音を鳴らして隼人に歩み寄る。3年前よりも大人びた雰囲気を漂わせるあかりは隼人の知らない女性に映った。 それほど親しい間柄でもないが可愛がっていた後輩ではあった。 「半年前、早河探偵に私のことを調べさせましたよね」 『3年前のことが気になってな。悪い』 「謝らなくていいですよ。先輩が気にする気持ちもわかります。早河探偵から報告を受けていると思いますので開き直って言いますが、私は犯罪組織カオスのメンバーです」 改めて本人の口から聞かされた沢井あかりのもうひとつの顔。わかってはいてもそうであって欲しくなかった。 『犯罪組織のメンバーがどうしてこんな所に?』 「先輩に話がある人がいます。私と一緒に来ていただけますか?」 『俺に話? 誰だよ』 「クイーンと言えばお分かりですよね」  隼人の瞳が揺れた。クイーン、その呼称で呼ばれる彼女とはもう会うことはないと思っていた。 『寺沢莉央が俺に? なんで……』 「それは本人に聞いてください。私はあなたを連れて来るようクイーンから指示を受けただけです」 『……わかった』 あかりの一歩後ろに下がって隼人はあかりについていく。 『お前はクイーンの何なんだ? 付き人? 世話役?』 「そんなところですね」 『亮には会ったのか?』  多くを語らないあかりを揺さぶるには最適な方法だと思った。しかし隼人の思惑は外れ、まったく動じる気配のないあかりは信号待ちで立ち止まった。 「彼に会う必要がありますか?」 『元彼なら久々に会いたいと思わねぇの?』 「先輩は元カノに会いたいと思うことがあるんですか?」 これではただの押し問答だ。隼人は舌打ちしてあかりから視線をそらす。 『昔の方が可愛げがあったな。今のが本性か』 「どうにかして私の真意を探ろうとする先輩が悪いんですよ。彼の名前を出せば私が動揺すると思いました?」 あかりは隼人を無視して青に変わった信号を先に渡った。肩を落として隼人も足早に信号を渡る。 「先輩の会社、大変な騒ぎですね」 『しれっと他人事みたいに言うなよ。どうせお前らの仕業だろう?』 「お察しの通り。ですが、事情は少し違います。先輩の会社の爆破、本当は爆発の規模がもっと大きくなる予定だったんですよ」  コンビニや飲食店、オフィスビルが並ぶ通りを歩いて二人は路地裏に入った。路地裏に面したビルの扉を彼女は開けた。 『大きくなるって……』 「あの会社の……先輩がいる経営戦略部のフロアにも被害が及ぶ規模の爆弾が当初は仕掛けられる予定でした。被害が比較的最小限に抑えられたのは事前に爆薬の量を変えたからなんです」 『じゃあもし爆薬の量を変えずに爆発していたら… 』 「先輩は今頃生きてはいません。先輩だけでなく、他の方達も。……どうぞ」 開け放たれた扉からビルに入ったあかりが扉を押さえて隼人を待っている。今頃自分は生きていなかったと思うと全身に寒気が走った。 隼人が中に入るとあかりが後ろで扉を閉めた。 『それってやっぱり俺を殺そうとして?』 「キングに命を狙われる心当たりが先輩にあるのならそういうことになりますね」 『心当たりってそんなもの……』 「ないとは言い切れないはずですよ。言っておきますがクイーンはキングの恋人です。そして先輩は美月ちゃんの恋人ですよね」  見たところリフォーム途中のビルらしい。床はブルーシートで覆われ、室内はかすかに埃っぽい。電気も暖房もついておらず、小さな窓から差し込む太陽の光が唯一の光源だった。 『邪魔者の俺をキングが殺そうとしたってこと? お前のとこのキングってそんなに嫉妬深いのかよ』 「詳しくはクイーンに聞いてください。この階段を上がった先に彼女がいます」 コンクリートの階段をあかりが指差す。ここからはひとりで行けと言うことだ。 あかりの視線を背中に感じながら隼人は階段を上がる。途中の踊場で右に折れてまた上がり、数段上がると開けた空間が見えてきた。
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