第六章 Runway

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 一階と同じくブルーシートが敷かれた部屋に彼女がいた。窓辺に寄り添う寺沢莉央は隼人を見て口元を上げた。 『デートのお誘いに部下を使うなよ』 半年前の夕暮れの別れ以来、二度と会えないと思っていた莉央を前にして気の効いたセリフが浮かばない。 「あの子が自分からお使いを志願したのよ」  二人の距離が近付き、互いに触れ合える位置で隼人と莉央は向かい合った。 『沢井に聞いた。爆弾……量を変えたからあれだけで済んだけど本当は……』 「本当はあなたはあの爆弾で殺されるはずだった」 『あんたが指示して変えさせたのか?』 莉央は無言で微笑むだけ。グレージュの髪を耳にかけて彼女は頷く。 『俺を殺すことがキングの命令なのに逆らって大丈夫なのかよ?』 「そうね。今頃キングは不審に思って調べさせているでしょう。調べれば爆薬の量が指示していた量の半分以下になっていることに気付く」 平然と語る莉央の両肩を隼人は掴んだ。 『なんでそんな平気そうに言うんだよ。つまりキングを裏切ったってことだろ? あんたが危ないんじゃ……』 「あなたを殺したくなかったの」 莉央は両肩を掴む隼人の手に優しく触れて彼の手を下ろさせる。行き場のなくなった隼人の右手を莉央の両手が包み込んだ。 「あなたが死ぬのは嫌だった。……ごめんね」 『どうして謝る?』 「今のあなたは悲しそうな顔してるから」  触れた手から伝わる莉央のぬくもりが隼人の奥底に眠るどうしようもなく、どうすることもできない感情を加速させる。 『あんたに聞きたいことが山ほどあるんだけどな。今はそんなもの吹っ飛んで頭の中が真っ白だ』 彼は莉央の身体を腕の中に閉じ込めた。きつく抱き締めて抱き合って、二人は沈黙を共有する。 「最後にまたあなたに会えてよかった」 『縁起でもないこと言うな。どこにでも現れる神出鬼没女だろ? またふらっと俺の前に現れろよ』 「本当に変な人ね」  莉央は隼人の身体を押しやって彼から離れた。彼女は黒色のロングコートのポケットに両手を入れて子どものように歯を見せて笑う。 「さて問題です。ポケットからは何が出てくると思う?」 『またそれか。……飴?』 苦笑いして答えた隼人に向けて莉央はポケットから出した物を差し出した。赤いネイルに彩られた莉央の手に握られているのは棒つきの飴。 飴の包み紙は莉央のネイルと同じピンクみのある赤色だった。 「大正解。つまらないなぁ」 『どう見たってそのポケットに拳銃があるとは思えねぇし、煙草吸うにはここは空気が悪い』 「煙草吸うのに空気の良い悪いが関係ある?」 『ある。煙草ってのは空気の良い場所で吸いたくなるんだよ。今度は何味? コーラ?』  隼人は莉央の持つ飴を受け取って包みを眺めた。半年前に莉央が舐めていた飴は青色のラムネ味。 この包みには苺の絵が描いてある。 「残念。イチゴミルク」 『うわっ。甘そう』 「いらないなら返して」 『ありがたく貰っておく』 イチゴミルクの飴が今度は隼人のコートのポケットに沈んだ。そろそろ秘密のデートもお開きの時間だ。 『美月と連絡が取れないんだ。何か知らない?』  それまで無邪気に笑っていた莉央の表情に翳りが差した。 「……彼女はキングと一緒にいる」 『やっぱりそうか。美月はどこ?』 「今は教えられない。だけどキングがあの子に危害を加えることはない。彼女の身の安全は保証する。何があっても私が守るわ」 莉央の懇願の瞳に嘘は見えない。 『わかった。俺はキングじゃなくあんたを信じてる。今は足掻いてもどうすることもできないみたいだしな』 「ごめんなさい」 それ以上の事情を話すつもりはないと言いたげに彼女は隼人に背を向けた。莉央がもう何も話してはくれないと察して諦めた隼人も彼女に背を向ける。 『死ぬなよ。……莉央』  無言の背中に語りかけて彼は階段を駆け降りた。一階の扉を背にして沢井あかりが待っていた。 「駅まで送ります」 『いい。お前は主の側にいてやれ』 あかりが開けた扉から外に出る直前に隼人は足を止める。後方のあかりが怪訝に隼人を見上げた。 『間宮(まみや)先生を殺したのは佐藤だ』 「唐突に古い話をしますね」 『まだ3年しか経ってねぇだろ。あの時、佐藤は間宮先生の殺害をある人間からの指示だと言っていた。佐藤に指示を出せる人間……間宮先生の殺害はキングの命令だろ?』 声を出して苦笑したあかりは笑った顔のまま隼人をねめつけた。 「先輩、サラリーマンよりも刑事になった方が向いてますよ。そこまでわかっているのなら私に聞くまでもないと思いますが」 『キングの命令だったとしてもお前が個人的に間宮先生を恨んでいたと俺は思ってる』 「だとしても私は間宮先生を殺していない」 『ああ、そうだ。お前は殺していない。だが……どこからが犯罪なんだろうな』  閉まろうとする力が働く扉を片手で押さえる。立て付けの悪い扉が軋んで不快な音を奏でていた。 「どこからが犯罪かなんて人間には決められません。それは神のみぞ知ることです」 『はっ。神ねぇ。このまま美月とも会わないつもり? それとも、もう会ったのか?』 渡辺亮の名には反応を見せなかったあかりが美月の名にはわかりやすく狼狽した。やはり、あかりのウィークポイントは美月だ。 「美月ちゃんとは会っていません」 『それでいいのか?』 「会いたいですよ。あの子は私の光なんです。でも会えない。私には美月ちゃんに会う資格がない」 『美月は今でも沢井を慕ってる。3年前のあの事件の後に音信不通になったお前のことをあいつはずっと信じてるんだ。……そういうとこ、美月らしいよな』  軋む扉の外に彼は足を伸ばす。あかりの声が聞こえる代わりに音を立てて扉が閉まった。 寺沢莉央と沢井あかり。二人の女との秘密の会談を終えた隼人は芝公園駅に繋がる道を引き返した。  これが12月9日の隼人の身に起きた出来事のすべてだ。
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