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3月7日(Wed)
午後5時半。足立静香は勤務する病院近くのカフェで落ち着かない時間を過ごしていた。
日曜日の夜、松田から会って話したいことがあると連絡をもらった。ちょうど水曜日が日勤だった静香は勤務後に松田とこのカフェで待ち合わせをし、今は彼の到着を待っている。
注文したカフェラテは半分も飲まないうちに冷めてしまった。ケーキでも食べて待っていようとも思ったが、松田の話の内容が気になって食欲もない。
今日何度目かの溜息をついて冷めたカフェラテをすする。
アフターファイブに松田と会うのなら可愛いワンピースでも着てくればよかった。今日も普段の出勤と同じ出で立ちのニットとジーンズ。とっておきの春物のワンピースを先日買ったのに出番なしだ。
松田とは今日のような格好で何度も会っている。メイクが崩れかけた勤務中の顔も見られているのだ。
今さらお洒落に気合いを入れて着飾った自分を彼に見せるのは照れ臭い。
静香の受け持ち患者だった木村隼人の妻の美月とは大違いだ。入院中の隼人の世話をする美月は華美ではないのに洗練された服装、手入れの行き届いた髪や肌は同性の静香から見ても憧れる。
あの美月が松田の想い人だと知った時、勝ち目はないと思った。たとえ美月が既婚者であってもあんなに可愛くて優しい人には勝てない。
鬱々とした気持ちを抱えていた静香の目の前の椅子が引かれた。ハッとして顔を上げた彼女の視界にスーツ姿の松田宏文が映る。
『遅くなってごめんね。電車が遅延してて……』
松田の息は乱れていた。駅からここまで走ってきてくれたのだろう。
彼はネクタイを緩めながら店員にレモネードを注文した。それから店内に設置されたセルフのウォーターサーバーの水をコップに注ぎ、席に戻って水を一気に飲み干した。
「大丈夫ですか?」
『……はぁ、うん。静香ちゃん待たせてると思うと焦って、走ってきたから喉カラカラで』
水分補給をして呼吸を整えた松田は苦笑いしていた。遅刻を気にして必死で走ってきてくれた松田の人柄に静香は惹かれていた。
どんどん、どんどん、好きが膨らむ。
『そのニット綺麗な色だね。コーラルピンク? って言うのかな』
「あっ……ありがとうございます」
せめてもの女らしさの演出が珊瑚色のニットと桜の花が揺れるピアス。静香の精一杯のお洒落だ。
『病院の前ってちょっとした桜並木だよね』
「もう少しすればあの辺りはピンク色に染まって、病室からも桜が見えるんです。お花見に行けない患者さんも多いから、あの桜並木が患者さん達のお花見代わりなんです」
どんな時でも患者を思いやる心を持つ静香の人柄に松田は惹かれた。真摯に仕事に向き合う彼女を人としても尊敬している。
松田のレモネードが運ばれてきた。カフェではコーヒーを選びがちな彼が冷たいレモネードを所望するとはよほど喉が渇いているらしい。
レモネードを喉に通して、松田は居住まいを正した。
『それで話って言うのはね……』
松田の言葉に静香の緊張も高まる。心臓の音が外に漏れ聞こえてしまうのではと心配になるくらい。
咳払いした後、彼は口を開いた。
『俺と付き合ってください』
静香は放心した表情で目を泳がせている。彼女の目にはみるみる涙が溜まり、手で顔を覆って泣き出した。
『えっ……静香ちゃん?』
「ごめんなさいっ! ……よかったぁ」
ごめんなさいとよかった。意味の通じない言葉の並びに松田は混乱している。さっきから店員と客の視線が突き刺さって痛い。
「木村さんが退院する前に言ってくれたんです。松田さんを信じて待っていてって」
『隼人くんがそんなことを?』
「はい。松田さんは木村さんの奥さんが好きなんですよね?」
『ああ……知ってたの?』
静香は頷いた。要するに、松田の知らないところで隼人と静香の間で松田に関するやりとりがあったのだ。
さりげなく静香にフォローを入れてくれる隼人にはやはり敵わない。木村隼人はどこまでも気遣いの人だ。
「木村さんの奥さんのことはもういいんですか?」
『それはケジメついた。ほとんど隼人くんのおかげなんだけどね。だから静香ちゃんに告白したんだよ。……返事、まだもらってないような気がするけど?』
顔を赤くする静香の反応を見れば返事は聞かなくてもわかる。本当にわかりやすい女性だ。
「私も……松田さんが好き、です」
照れてうつむく静香を可愛いと思った。ずっと側にいて欲しい。
巡り会えた愛しい人
彼も宝物を見つけたよ
きらきらした、かけがえのないもの
人魚姫は悲恋の物語じゃない。ラストシーンの人魚姫は風の聖霊となって王子様の幸せを笑顔で見守っている。
彼と彼女の物語。これは悲恋の物語じゃない。
ラストシーンは笑顔でおしまい。
二人がいつまでも幸せでありますように。
きらきらと煌めく桜色の日差しの下で
永遠に続く幸せな夢を見よう
episode1.END
→episode2.父親奮闘記 に続く
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