完結編 スピンオフ episode1.人魚姫 the last scene

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 人の気配が近付いてくる。松田達がいる地点は25メートルある凹型トンネルのちょうど中間。他の客が曲がり角を曲がる前に彼は美月を手離した。 『隼人くんは当時から美月の気持ちに気付いていたんだろうな』 「隠し事してても隼人にはなんでも見抜かれてるもん」 『隼人くんは洞察力の塊のような人だからねぇ』 残りの経路を進んでアクアトンネルを出た先にはクラゲの水槽があった。ふわふわ浮遊するクラゲを見上げて美月は苦笑する。 「先輩にも隼人にも本当の気持ちを言うのが怖かった。隼人との関係に不安になってる時に先輩に惹かれて、でも心の中には佐藤さんがいて、隼人の側にいたくて。私は勝手過ぎる。隼人にも先輩にも嫌われちゃうんじゃないかって思うと怖くて言えなかった」 『俺も隼人くんも美月を嫌いにならないよ。佐藤さんだってそうだろ。強いて言えば皆が美月に惚れてるから美月を困らせてしまうんだよな』 「私はそんなにモテませんー」 『またまたご謙遜を』  笑い合う二人の前を浮遊するクラゲの群れ。クラゲは海の月と書く。こうして見ていると海の夜空に浮かぶ満月に見えてきた。 ふわふわ、ふわふわ。 青白い丸い月が夜の海に浮かんでいた。  クラゲの水槽を離れて二階へ降りた。二階のレストランで昼食の時間だ。 館内のレストランは巨大な水槽を囲んでテーブル席があり、食事をしながら魚を観賞できる。 水槽の前のテーブルに座って、注文を済ませた彼らは一息ついた。 「本音はね、今まで先輩に彼女ができた時もなんだかモヤモヤしてたんだ」 『おっ。ヤキモチ?』 「そうみたい」  困った顔で微笑する美月は愛らしい。彼女が無意識に行う仕草が男を惹き付ける。 美月は悪女の自覚のない悪女だ。 「先輩は静香ちゃんが好きなんだよね?」 『ああ……気付いてた? それとも隼人くんに聞いた?』 「その両方。でも隼人から聞かなくてもわかっちゃった。静香ちゃんと話してる時の先輩はとっても楽しそうで、先輩が遠くに行っちゃった気分になって勝手に寂しくなってたの。そんな資格ないのに静香ちゃんにもヤキモチ妬いて……」  隣の席のカップルから歓声があがる。人間の何倍も体が大きな魚がこちらに泳いできた。 硝子で隔たれた向こう側は人工的に創造された海の領域。 こちらとあちらの違いはなに? たとえば男友達に恋人が出来た時、一抹の寂しさを感じるね。 たとえば女友達に恋人が出来た時、手の届かない遠くに行ってしまった気持ちになるね。 人間だけが常に思い悩んで葛藤している。 『俺はどこにも行かないよ。これからも美月の側に居させてもらえるなら側にいたいと思ってる。美月や隼人くんが困ってる時は助けたいし、力になりたい』 「またそうやって格好いいこと言う。やっぱり先輩の唯一の欠点は優しすぎるところだね」  優し過ぎる男と素直過ぎる女のたった一夜の罪深き物語。 『ははっ。でもこれでやっとすっきりしたよ』 「私も。静香ちゃんとのこと応援しています」  二人の罪は消えない。消したくないから消さないよ。 あれは罪ではなくて確かに愛と言う名の、夏の夢だったから。
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