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3.集結
木村隼人は息子の斗真と繋いでいた手を妻の美月と繋ぐ。
『斗真ってシャイなんだな』
「顔は隼人に似てるのにそこだけは似なかったのね。将来、女たらしにはならないようでホッとしたよ」
『いやー、わからないぞ? あれで意外と女たらしになるかもしれない』
妊娠中の美月のペースに合わせて階段を昇っていくと、既に三階に到着した斗真と真愛が待っていた。
受付を済ませた美月と隼人はフロアを見渡す。正装した渡辺亮が二人に向けて片手を挙げていた。
『おお、亮。早いな』
『早く着き過ぎて暇してた。斗真は実家預けてきたのか?』
木村夫妻の側に斗真がいない。隼人が苦笑してフロアの一角を指差した。真愛と手を繋いでフロアを探索する斗真の姿がある。
『あいつは年上のお姉さんに気に入られたらしい』
『さすが隼人の息子だな。さっそく女たらしこんだか』
『お誘いしてきたのはあちらさんだ。あっ……』
サーモンピンクのワンピースの女性が真愛と斗真に駆け寄っている。あの女性に隼人は見覚えがある。
あれから7年が経過しているが間違いない。
『香道さん』
美月を連れて隼人は女性に近付いた。彼はあえて女性の旧姓を呼ぶ。
旧姓で呼ばれた早河なぎさは振り返った。
「木村さんっ!」
『お久しぶりです。麻衣子から香道さんがスピーチをすると聞いていたので、今日お会いできるのを楽しみにしていました』
「私もです。そちらが……」
『妻の美月です』
なぎさは隼人の隣に寄り添う美月と目を合わせた。なぎさと美月は互いに気恥ずかしく会釈をする。
「はじめまして。木村美月です」
「早河なぎさです。やっと会えたね」
7年前、美月が関わったある事件の調査を隼人が探偵の早河に依頼した。早河の助手を務めていたなぎさは依頼人の隼人とは7年前に何度か顔を合わせていたが、美月とは初対面だった。
「麻衣子さんからなぎささんと真愛ちゃんの話は聞いていたので、なんだか初めて会う気がしません」
「私もよ。不思議な感じよね。この子が息子さんね」
なぎさは真愛と手を繋ぐ斗真の頭を撫でた。
今日の主役である花嫁の加藤麻衣子はなぎさの友人であり、木村隼人と渡辺亮の幼なじみでもある。麻衣子を通して結ばれた縁が交流の輪を広げた。
『早河さんはご一緒じゃないんですか?』
「本当は出席の予定だったんです。でも急に仕事が入ってしまって」
7年前に犯罪組織カオスを壊滅させた後も早河は探偵を続けている。
「パパと出掛けられなくなって拗ねていた真愛も斗真くんと一緒に遊べて機嫌が良くなったみたい」
真愛と斗真の周りには結婚式の出席者の子ども達が集まって賑やかな集団ができていた。
挙式の時間が迫り、招待客がホテル内のチャペルに集まる。白で統一されたクラシカルなチャペルには木目調の椅子が並んでいた。
祭壇から向かって左側の新婦側の椅子に木村夫妻と渡辺亮が揃って着席する。麻衣子が幼稚園の頃から家族同然の付き合いをしてきた隼人と渡辺は必然的に新婦の親族が並ぶ席の真後ろに座る事態になってしまった。
なぎさと真愛も隼人達の数列後ろに着席している。
『麻衣子もついに結婚か……』
渡辺はしんみりとしていた。麻衣子に長年の片想いをしていた渡辺としては複雑な胸中だろう。
『寂しいだろ?』
『隼人だって寂しいくせに』
『娘を嫁に出す父親はこういう気分なのかもな』
『お前は麻衣子の親父かっ。でも麻衣子の父さんも泣いてたな』
麻衣子の結婚が決まった直後に隼人と渡辺は酒を持参して加藤家を訪問した。幼い頃から面倒を見てきてくれた麻衣子の父と男三人で飲み明かした夜。
麻衣子が隼人に片想いしていたことも渡辺が麻衣子に片想いしていたことも、麻衣子の父は知っている。“お前たち皆、幸せになれよ”――そう呟いた麻衣子の父は酔った赤い顔で泣いていた。
隼人の膝の上に座る斗真が顔を後ろに向けた。後方にいる真愛の存在が気になっているようだ。
『こいつ、真愛ちゃんが気になってるな』
「斗真は年上の女の子と遊んだのは初めてだからね。仲良くなれて良かった」
オルガン演奏の始まりと共に新婦が入場する。純白のウェディングドレスに身を包む麻衣子が父親とバージンロードを歩いてきた。
結婚証明書のサインの時間に美月は隼人の顔を盗み見る。
渡辺は麻衣子の花嫁姿を見た瞬間に泣き出していたが、隼人の瞳に涙は見えない。しかし唇をきつく結んで麻衣子を見つめる隼人の表情は必死で泣くのを堪えている顔だった。
(泣きたいなら亮くんみたいに泣けばいいのに、隼人も素直じゃないなぁ)
泣くのを我慢している隼人の手に触れる。隼人は無言で美月の手を握り返して、そこに斗真の小さな手が重なった。
誓いのキスでついに隼人の涙腺も崩壊、麻衣子の幼なじみの二人の男は他の出席者の誰よりも泣いていた。
*
チャペルからホテルの披露宴会場に舞台が移る。雛壇に夫と座る麻衣子を見つめる隼人と渡辺の眼差しはやはりどこか寂しそうで、二人にとって麻衣子がどれだけ大切な存在か窺い知れる。
『お前は泉ちゃんとどうするんだ? 同棲始めてけっこう経つよな』
『同棲してもうすぐ2年だな。まぁ先のことも考えてはいる』
渡辺は2年前から交際を始めた恋人の小野田泉と同棲中。隼人、渡辺、麻衣子の幼なじみ三人の人生はそれぞれの場所で動いている。
新婦の友人代表スピーチでなぎさがマイクの前に立った。緊張の面持ちで始まったなぎさのスピーチは次第に涙声に変わり、彼女は麻衣子との思い出を語る。
高校時代の麻衣子となぎさの思い出には言葉としては語られなくとも“彼女”の存在があることを、隼人と美月は感じ取っていた。
犯罪組織カオスのクイーン、寺沢莉央。7年前にこの世を去った莉央は麻衣子となぎさの友人だ。
莉央の存在が見え隠れするスピーチで隼人はまた瞳を潤ませた。
(莉央も空の上から麻衣子の花嫁姿を見ているんだろうな)
天国なんてものを信じてなかった。死んだ人間は目の前から消えて見えなくなる。それで終わりだと思っていた。
だけどそうじゃない。
寺沢莉央は今も麻衣子となぎさ、隼人と美月の心の中で生き続けていた。
忘れない限り、その人は心の中で生き続けている。永遠に。
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