story1.キャラメルマキアート

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 土曜日の午後のカフェは予想通り混雑していた。レジカウンターには注文に並ぶ人の列ができている。 (げっ……! まーたアイツだ) カウンターの向こうで注文をとる店員の顔に見覚えがある。病院でなぎさに愚痴っていた例の男だ。  注文の順番が迫ってきた。今は二人組の女性客が注文をしている。次が有紗だ。 女性客は何にしようかメニュー表を見てあれこれ相談しているが、今日もいつものキャラメルマキアートを頼む予定の有紗は注文で迷うことはない。 ようやく女性客が注文を済ませて有紗の番になった。例の店員は有紗を見てもいらっしゃいませの一言も言わない。 (店員として愛想がないってどうなのよ? いらっしゃいませくらい言いなさいよ! 他のお客さんには言ってるくせに!)  男の年齢は二十代前半、おそらく大学生だろう。サブカル風の外見だけ見ればイケてる部類に入るであろうこの男はとにかく愛想がない。 仏頂面、無愛想、素っ気ない、どれだけ言葉を並べても足りないほど愛想というものが欠落している。それも有紗にだけ仏頂面なのだ。 「ホットのキャラメルマキアート、Sサイズで」 『350円になります』 今日も変わらず男は素っ気ない。別にニコニコして欲しくもないが自分にだけ愛想がないと言うのも気に入らない。 500円硬貨を出してお釣りを待つ間、男を観察した。彼は有紗以外の客や従業員同士の会話では表情が柔らかく笑顔も見せる。 (どうして私にだけそんなに態度が悪いのよ。私この人に何もしてないよ?) 『土曜に来るのは珍しいな』 「えっ……」  トレーに置かれた釣り銭に手を伸ばした有紗は戸惑った。注文以外で男に話しかけられたのは初めてだ。 『いつもは平日に来るだろ』 「まぁ……今日はなんとなく」 客の顔なんて覚えていないと思っていたからか、男が有紗を覚えていることが意外だった。 『学校大丈夫だったのか? あんた聖蘭学園だろ。あんたの学校で脱獄犯が暴れたってニュースで見た』 「あー……まぁ……大変でしたね」 思い出したくない記憶が甦り顔がひきつる。世間話には重たい話題だ。 有紗の表情の変化に気付いたらしい男は再び無言に戻って次の客の対応に移った。  レジカウンターから少し離れた場所でキャラメルマキアートが出来るのを待っていると、有紗の前に注文していた二人組の女性客のひそひそ話が聞こえてきた。 「あの店員さん格好いいよね。何歳かな?」 「大学生っぽいよね。20歳くらい?」 直感的にあの男のことだと察する。女性客は注文の品を受け取ってもすぐには席に向かわずに例の店員に視線を送っていた。 ひそひそ話をして男性店員に色目を使う女性二人組にも、自分にだけ愛想のない男にも、無性に苛ついた。今日は虫の居所が悪い日だ。 『Sサイズホットキャラメルマキアートのお客様ー』  陽気な声が店内に響いてハッとした。あの店員とは正反対の色黒のサーファー風の男性店員からキャラメルマキアートを受け取った。サーファー風の店員は愛想がいいところまであの男とは真逆だ。 有紗は窓に面したカウンター席に座った。他の席はどこも埋まっていたがカウンター席は比較的空いている。隣の人間との間隔も椅子三つ分は空いていた。 キャラメルマキアートをひとくち飲む。苦味の中にある優しい甘さにホッとした。ここのキャラメルマキアートが一番美味しい。 (そういえばEdenはどうなっちゃうんだろう)  四谷(よつや)の早河探偵事務所の近くにある珈琲専門店Edenのキャラメルマキアートも美味しくて好きだった。秋頃までは早河の事務所に寄る時は必ずEdenにも訪れていた。 しかし11月頃に早河からEdenには行くなと注意を受けた。Edenは犯罪組織カオスの人間が経営に関わっていたようだ。 早河の言いつけを守って、Edenには先月から行っていない。 (カオスが潰されたんだからEdenもなくなるのかな。それは寂しい気もするけど、でも犯罪者が淹れたコーヒーを飲んでいたかもって思うとちょっと怖い)  早河は犯罪組織カオスのことを多くは教えてくれない。今回のカオス壊滅にしても、早河が何をして、どうやってキング逮捕の結末を迎えたのか有紗は知らない。 有紗に関係のある事柄だけを早河は話してくれる。 父の政行は精神科医の立場もあり、もっと多くの情報を早河から聞いて知っている。けれど父も知った情報の全てを話してはくれない。 早河も父も、自分を子供扱いしているのではない。知らなくてもいい世界の話ならば知らないままの方が幸せなこともあるからだ。 それでも世間のニュースでしか事情を知らない人間よりは有紗は少しだけ裏側を知っている。  振り返って店内に視線を走らせる。笑顔で話をしている者、無言で携帯電話を操作する者、ノートを広げて勉強している者、読書している者、店内にいる誰もが昨日、東京で何が起きていたのか本当のことは知らないだろう。 誰にも知られないまま埋もれていく真実がこの世界には数えきれないほど存在する。  しばらくキャラメルマキアートを飲みながら店内の様子や表を歩く人々を眺めていると、あの男が店内のテーブルを拭いて回っていた。彼は有紗の後方の空席になったテーブルを拭いている。 このカフェに通い始めたのはフランス留学から帰って来た夏頃。当時から男は店員として働いていた。 カフェに通い詰めて半年近くになるのに有紗は一度もこの男から愛想を向けられたことがない。最初から今と同じ仏頂面で無愛想。 (顔は良いのに勿体ない。まるで初めて会った時の早河さんみたい……って、なんで早河さんとアイツを重ねてるのよっ)  ぶんぶんとかぶりを振り、キャラメルマキアートのカップを持って立ち上がった。後方にいた男とすれ違った時にエプロンにつけていた名札が目に入る。 (加納(カノウ)……か) これまでは男の苗字を気にはしなかった。どうして今日は名札を確認したくなったのか自分でもよくわからない。 (加納……下の名前は何て言うんだろ)  出入口に近いテーブル席にさっきの女二人組が座っていた。有紗よりも少し年上に見える彼女達は加納に視線を送りつつ別の男の話題で盛り上がっている。 それだけで彼女達があまり好きなタイプではないと思ってしまう辺り、やはり今日は虫の居所が悪いのかもと自覚して有紗は店を後にした。
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