信じて、信じないで。

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帰宅してから橋田くんに、一言だけメッセージを送った。 何を言えばいいのか迷って、けれど何も言わずに月曜日の学校で顔を合わせる方が気まずくなることはわかっていたから『 今日はごめん 』と端的なメッセージを。 橋田くんからの返信が来たのは日付が変わろうかというときで『 俺も、ごめん 』という文字を読み終えるより早く、続く『 でも、今は真野さんと距離を置きたい 』の文字が目に飛び込む。 橋田くんがわざと呼び方を名字に戻したのか、いつものように忘れただけなのかも、わからない。 隔たりどころか、橋田くんの心への距離は付き合い始めた頃から近付いていない。 もっというと、日に日に離れていく。 このままではいけないってわたしも理解しているけれど、その方法をお互いが納得出来る形で示すことが出来るのかと言われると、言い淀んでしまう。 帰って一番に身体から外したバレッタは机の上に転がり、水滴の跡が残っている。 あれをもう一度つけて橋田くんの隣を歩く自分の姿が想像出来なくて、飛び込んだシーツの海に溺れる。 距離を置くことが嫌なわけじゃない。 中途半端な関係にするくらいなら、きっぱりと終わらせてほしいだけ。 後ろ髪を引かれることも、未練も、後悔も、きっとどれもないだろう。 これまでずっと、ひとりになったときの練習を続けてきた。 気分が晴れずに落ち込む日も、怠さに全てを放り出してしまいそうなときも、自分を奮い立たせてきたけれど。 濡れた衣服を取り払って、タオルで水分を吸収しただけの身体は冷えていたけれど、風呂に行くのも億劫だ。 朝から何も食べていないお腹は空腹を通り越して気持ち悪い。 身体は疲れてきっていて、脳もまともに働いていないのに、眠気に手を伸ばそうとすると遠退いていく。 今日は誰も帰ってこない。 友紀さんの帰りは朝になると連絡があったし、葵衣も帰らないだろう。 わたししか家にいないとわかっていて、葵衣が帰ってくるとは思えない。 葵衣の家でもあるこの家に、葵衣を居辛くさせているのはわたしだ。 残された時間を、どんな形でもいいから一緒にいたいと望んでいたのに、どうしてこんなことになったのか。 何一つ上手くいかないのは、わたしの決意が如何に薄っぺらく浅はかであるかの証明のようなもの。 大勢を巻き込まない代わりに、親しい人達をことごとく巻き込んで傷付けていく。 「ばかみたい」 口に出して言わなくたって、嫌という程自覚しているけれど、吐き出さずにはいられない。 こんな安っぽい言葉を突き刺して、傷付けた分だけ取り戻そうとする行為の軽薄ささえも、馬鹿らしい。 縋り付く宛もない。 ひとりで歩いて行けるんだと胸を張っていたはずなのに、よろめくたびに色んなものを奈落に落としてきた。 今度はきっと、次はもう、わたしが落ちてしまう。 決して揺らぐことのない、わたしの真ん中にある唯一が葵衣への想いではなくて、堂々と掲げて人に見せられるものであれば良かったのに。 何もかも、犠牲にしていくことしか出来ない今の果てに、葵衣や日菜達を誰一人不幸にしない未来があるとは思えない。 わたしだけがどこかで救われる、そんな気がする。 最悪の未来なんてない。 少なくとも、犠牲にしてきたものが報われるように、無駄にならないように、貫き通さなきゃいけない。 胸のそばに横たえた右手を、左手でぎゅっと握る。 たとえば、この胸に手を当てて、葵衣への想いを取り出して、握り潰せたとして。 わたしはきっとまた葵衣に惹かれるのだろう。 好きになった理由が見つからないから、兄妹という理由では足りなくて、捨てられない。 慶は恋だと言ってくれたけれど、わたしも恋と呼ばれることを望んでいたのだと気付いたけれど、やっぱり、そう呼んではいけない。 生まれる前には出会っていた。 両親よりも先に、出会っていた。 誰よりも長く、誰よりも近く、ずっとずっと一緒にいたのだから、心で惹かれるのは当たり前でしょう。 どうして、隠さなきゃいけないの。 どうして、隠そうとしてしまうの。 どこかでわかっているから、頑なにそうしているはずなのに、届かない。見えない。 「葵衣」 会いたい。 けれど、会いたくない。 もう二度と、会いたくない。 もう一度会えたのなら、離したくない。 行き場のない、逃げ場もない想いの行く先を探しながら、ぼんやりとする意識の中を彷徨う。 微睡みながら待ち侘びた葵衣の声は、いつまでも聞こえなかった。
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