言って、言わないで。

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いつから部屋にいたのか、葵衣のそばには手荷物の他に買い物の袋はひとつも置いていない。 観光もそこそこに、先にホテルへ来ていたのだろう。 突っ立ったまま葵衣の背中を見ていると、不意にこちらを振り向いて柔らかく笑う。 「楽しかった?」 「楽しかったよ。色々回って、疲れたけど」 「何も買わなかったんだな」 わたしも特に買い物はしなかったから、荷物は肩にかけたショルダーバッグと小ぶりなボストンバッグだけ。 友紀さんの荷物を持っていたり、一緒に選んだものもあるから、自分も買い物をした気でいたけれど、わたしは一度も財布を出していない。 「日菜と慶に土産は?」 「まだ買ってないよ。葵衣こそ、ここの売店で買う気でしょ」 「これ」 ひょい、と開いたカバンの中から指先でつまみ出したのは、ふたつの手のひらサイズの小袋。 「明日、駅の方まで行くからそこでも買うけど」 やっぱり、葵衣はしっかりしてる。 その袋の中身は多分、慶と日菜でお揃いにしろとでもいうような物なのだろう。 「葵衣が駅に行くならわたしはここで買おうかな」 入ってきたときに見かけたけれど、品揃えは良さげだし広かったから、ふたりの分を買うには十分だと思う。 万が一葵衣と被ってしまっても、袋が違えば同じところで買ったことにはならない。 「カレシには何かやらないのか」 「……旅行のこと、言ってないし」 たとえ家族で双子といえど、別の男の子と一緒に宿泊込みの旅行だなんて、気分のいいものじゃないかと思って、言わなかった。 わざわざ伝える必要がないと思った、というのが本音だけれど。 「そっか」 だから、そのホッとしたような顔、やめてほしい。 どんな意味があるのか、わたしに都合のいいように解釈してしまいそうになる。 「葵衣、夜ご飯どんなだと思う?」 荷物を放り出して、窓際のテーブルを挟んで葵衣と並ぶ。 隔てるものがあると安心してしまうことに、少しだけ寂しさを感じながら問いかけると、葵衣はううんと悩む素振りを見せる。 「川だし……やっぱ、鮎?」 「鮎の時期は過ぎてるよ。鍋じゃないかなあ」 「ていうか、和食限定?」 「それもわかんない」 洋食なら、なんだろう。 このホテル、内装は綺麗だしそこそこの料金だけれど、別に特別リッチなわけじゃないから、コース料理とかではなさそうだ。 テーブルに置いてある館内の案内を見ると、二階のワンフロアが丸々レストランや食事処になっている。 「メニューは載ってないんだ」 「日替わりだろ、こういうところって」 「よく知ってるよね、葵衣」 「いや、知らない。勘で言ってる」 よく考えたら、知らないに決まってる。 昔から、両親と遠出をするときはお母さんが朝から張り切ってお弁当を作って、夜には帰っていたから。 泊まりで旅行には行ったことがない。 「お父さん、一日しかない休みを家族に使ってくれてたんだね」 脈絡なさに気付いて、昔のこと、と付け加える。 「家族サービス精神に溢れてたんだよ。俺は家でごろごろしてたいけどなあ、嫁さんと」 「……こども、は?」 葵衣の口から出た『 嫁さん 』の一言に、ギクリと身体が強ばる。 些細な変化だけれど、葵衣に見つからないうちに質問で返した。 「考えたことねえよ、子どもとか」 「そっか……」 「花奏は? 理想の家族像的なのないの?」 理想も何も、わたしの未来は真っ暗だ。 行く宛もなく、地べたを這いながら進んでいく道。 そこに、出来ることなら誰も巻き込みたくはない。 行きずりに、橋田くんの手を引いてしまう可能性だけは、まだ少し残されているけれど。 「友紀さんがいて、葵衣がいてくれたら、それでいいよ」 そんな、続きもしない夢を描いてしまう。
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