言って、言わないで。

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「葵衣、部屋に戻ろう?」 「……戻れない」 「どうして?」 こんな愚問があるだろうか。 わたしがいるからだと、ずっと知っているくせに。 「聞きたい?」 目を見て何がわかるわけでもないけれど、背後から葵衣を抱き締めている今の状態では、その意図を汲むことは難しい。 聞かない方がいいよ、と葵衣の瞳が訴えているとしても、見えないのだから仕方がない。 ガラス越しに目が合わないように、肩に埋めた顔を上げないまま、小さく頷く。 「花奏と一晩同じ部屋で過ごす度胸が俺にはない」 表情が見えないことに奥歯を噛み締めた。 見えたところで、読めたかどうかはわからないけれど。 「度胸って……」 言葉の使い方が違いすぎやしないか。 堪えられないだとか、もっと直球に嫌だと言うならまだしも、その意味を深読みして察しろというのはわたしには難しい。 「でも、朝までここにいたら風邪引くよ」 何でもいいから、理由をつけて葵衣を連れ戻そうとした。 夜中や明け方はもっと冷え込むのに、コート一枚を羽織らせてわたしだけ戻るわけにはいかない。 同じ部屋で過ごすことよりも、葵衣を放置しておけない気持ちの方が勝る。 だから、さっきの言葉の意味を敢えて勘繰りせずにいる。 「いいんだよ。俺、朝には帰るから」 「……かえ、る……?」 「昼から仕事になったんだ。朝一の電車で帰る」 「それ、友紀さんには言ってるんだよね?」 「いや、姉さんも予定繰り上げて帰るって言い出しそうだから、まだ伝えてない」 確かに、友紀さんならそう言うだろう。 友紀さんが言わなくても、わたしから進言する。 葵衣の肩から顔を上げて、その横顔を覗く。 「なら、尚更部屋に戻らないと」 「しつこいなあ、お前」 笑い混じりに葵衣が吐息を漏らすと、白く燻るように上へと向かい、天井にぶつかってしまう前に、見えなくなった。 「葵衣が戻らないなら、わたしもここにいる」 勝手にしろ、と言われる覚悟で葵衣に回した腕を解き隣に座った。 ずっとくっついていたのをいいことに、ぴったりと腕を触れ合わせて、ついでに葵衣のコートの袖を掴む。
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