言って、言わないで。

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葵衣は何も言わなかった。 けれど、先に立ち上がったわたしが正面に回って手を差し出すと、迷い子のように瞳を揺らして、縋るように握り締める。 その手が離れてしまわないようにしっかりと握り、部屋へ導いた。 先の見えない道ではないから、こうして先頭を行けるだけだ。 一歩先さえも見えない、たとえばわたしと葵衣の未来が続く道だとしたら、わたしは葵衣の背に隠れて、自分の力では一歩も歩こうとしないだろう。 部屋に入ってすぐ、葵衣の手を解いた。 ドア前で立ち尽くす葵衣を放って、片方の布団を壁際へ寄せる。 それから、一歩も動こうとしない葵衣を再び引っ張りに行く。 「ほら、葵衣が真ん中でいいから。早く入って」 暖房は付けっぱなしにしていたから部屋の中は寒くないけれど、冷えた身体はすぐに温もりはしない。 葵衣の肩を押さえると、力が抜けたように布団の上に膝をつくから、わたしも肩に手を置いたまま腰を折る。 ずり落ちたコートを拾い上げて一旦離れようとすると、強い力で手首を掴まれた。 「花奏」 「もう…… なあに、葵衣」 その先を紡げないことをわかっていて、優しく問いかけると、思っていた通りに口を噤む。 それでも手首を握る力を緩めてはくれないから、諦めてコートを枕元に放る。 葵衣の正面に座り、真っ直ぐに視線を合わせた。 わたしの手首を掴んだままの手から、一瞬力が抜けた。 その隙に腕ごと引っ込めると同時に、葵衣の顔が近付いて、肩にぽすんと落ちる。 腕はしっかりと背中に回されているし、ゼロ距離を更に詰めようと引き寄せられて苦しいほど。 「どうしたの」 返事なんてない。 出来っこないんだ。 わたしだって、単調なセリフばかりを繰り返す。
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