言って、言わないで。

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車で昨日とは反対の道をずっと進むと、駅前の通りに出る。 近くのパーキングに車を停めて、駅構内やその周辺を見て回る。 早速あれこれと物色を始める友紀さんとは離れて、日菜と慶へのお土産を見繕っていく。 橋田くんに何か買おうかとも思ったけれど、形の残らないものを敢えて買うのは躊躇われる。 かといって、昨日のジュエリーショップで見かけた類いのものを改めて探す気にもなれない。 やはり、旅行のことは伏せておこう。 昨夜を思い出して、平気な顔をしていられる自信もない。 地域限定の文字が書かれているものをいくつか購入し、ちょうど近くを通った友紀さんに外に出ていることを伝えた。 車を降りて羽織った葵衣のコートに、友紀さんは何も言わなかった。 じっと見つめて、何度か瞬きをしていたけれど。 陽の当たる外のベンチに座って、駅の方を眺める。 ノスタルジックな雰囲気の構内の向こう側、ホームに滑り込んできた電車は、地元ではまず見ることのない色とレトロな造りをしている。 たとえばあの電車に乗り込んで葵衣を追いかけたって、結局は姿すら見えないのだろう。 同じ速さで追いかけたって、いつまでも追いつけやしないのに、追い越していく手段を見つけられずにいる。 手を引いているつもりで、本当はいつも葵衣の影を掴んでいたんだ。 形のあるものを残したくないのは、橋田くんに限った話ではなく、葵衣にも言えること。 繋ぎ止めるということは、縛るということと同義だから、与えたくないし与えられたくない。 相手がそれを望んでいたとしても。 雲ひとつない空を見上げる。 広い空を見ていると、自分の存在がひどくちっぽけなものに思えると同時に、とても希薄なものであることに気付いてしまう。 いっそ、溶けて消えてしまえるのなら、誰の目に映らずにいられるのなら、わたしは葵衣を攫ってしまうだろう。 人の目がなくては生きていけないけれど、人の目があるからこそ生きにくさを感じてしまう。 空に手を伸ばすけれど、冷たい空気を掴むことさえ出来ない。 昨夜、葵衣の身体から奪ったはずの体温はもう、消えてしまっていた。
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