姉妹喧嘩

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姉妹喧嘩

「ねえ、ちょっと聞いてよ、花鈴(かりん)!」   いつも通り、クラスメイトの怜菜(れな)と帰り道を歩いていると、彼女がそう切り出してきた。  怜菜は入学当初から同じクラスにいる友達である。さらに帰る方向も同じで、毎日一緒に帰っているのだ。  そしてその経験上、怜菜がこの台詞を普段よりも一オクターブ高い声で話を始めるときは決まって、私に愚痴を言いたいときだ。 「今度は何があったの?」 「先週の日曜日に妹と一緒に映画を観に行ったんだけど、上映中に食べるポップコーンをどっちが買うかで揉めたのよ!」  はいはい、また妹さんの愚痴だよ。  怜菜が私に言ってくる愚痴の多くは三歳下の妹さんに対するものだ。ちなみにわたしの調べによると彼女の愚痴の内訳は七割妹さんに対するものだ。まったく、仲が良いんだか、悪いんだか。 「またしょうもないことで揉めたね」 「本当にそうよねえ! 今回ばかりは、絶対に原因は向こうにあるんだから!」  これもまた彼女の常套句。  「私がパンフレットを買うからポップコーンのお金は出してねって約束してたのに、いざ買うときになってお姉ちゃんが払ってとか言い出たのよ」 「どうして?」 「分からないから、イライラしてるの。まあ、そのときはお姉ちゃんの方がお小遣いたくさん貰ってるからとか言ってたけど」  怜菜はそう言ってむくれた。  姉妹とはいえ、お金が絡むとこんな顔にもなってしまうのも当然だ。今回はちょっと同情できる。  いつもなら怜菜がむくれた顔をすると愚痴大会は閉会という合図なのだが、今日は少し様子が違うようだ。 「そうだ。今日は私だけじゃなくて、花鈴のところの話も聞かせてよ」  珍しい展開になった。話を振られた。  怜菜主宰の愚痴大会において、私はいつも観客席にいて、聞き役に徹しているのだ。そんな聞き役が舞台に上がれと言われたのは大会の歴史始まって以来のことである。 「確か花鈴にはお姉さんいたよね? 喧嘩ぐらいするでしょ?」  しかも、喧嘩の話限定か。私には話のストックがないジャンルだ。なぜなら。 「私、お姉ちゃんと喧嘩しないんだよね」 「えー、そんなの嘘だよ。姉妹が二人揃ったら喧嘩するって相場が決まってるんだから」 「何よ、それ。聞いたことない」 「あなたが聞いたことなくても決まってるものは決まってるの。喧嘩しない姉妹は全ての姉妹の憧れで、実際には存在しないんだから」 「そんなこと言われてもね……お姉ちゃんは私と六歳離れてて、大学三年生なのよ。喧嘩なんかしないんだってば」 「そう……珍しい」  そう言うものの、怜菜の顔は信じていない人の顔だった。まあ、あれだけ愚痴を言うほど姉妹喧嘩をしていれば、喧嘩をしない姉妹の存在を信じられないのも無理はない。 「残り一つのケーキの取り合いとかしないの?」  怜菜が訊いてきた。 「しないよ。どちらかが身を引く」 「じゃあどうしても食べたいときは?」 「二人で分け合う」 「そうなるのね……」  そう言ってそれ以上掘り下げることはしなかったが、怜菜は喧嘩をしない姉妹の存在をやっぱり信じられないみたいだった。 「でも、喧嘩するほど仲が良いって言うでしょ。喧嘩は悪いことじゃないわ」    わたしが言う。  「喧嘩する姉妹に憧れてるの?」 「……うん、まあ」 「へえ、変なの」  そう頷いた怜菜はうーん、と考える顔をした。めちゃくちゃ難しい注文をされたその道のプロフェッショナルのような顔つきである。そして、この顔をした彼女は何か良からぬことを考えているということだ。何だ。何を企んでいるのだ。 「そうよ!」  怜菜がいきなり叫んだ。 「喧嘩したいなら、花鈴からお姉さんに吹っ掛ければいいのよ!」 「え!」  ほら、やっぱり良からぬことだ。煙のないところにわざわざ火を付けるなんてふざけている。 「吹っ掛けるなんて、どうやってやるのよ」 「そんなの簡単よ。一つしかないものをこれは私のもの! って言ったり、お姉さんのものを盗ったりすればいいのよ」 「でも、きっとお姉ちゃんは私に譲るわ。喧嘩になんか発展しない」 「そんなのやってみなければ分からないじゃない」  怜菜は楽観的だ。数多くの喧嘩を乗り切った人は肝が据わっているのか。 「リスキーだなあ」 「喧嘩っていうのは案外、自分にとってリスキーなものなのよ」  この話題は怜菜のこの言葉で締めくくられた。    その後すぐに分かれ道になって、また明日、と怜菜と別れた。  一人になった私は姉妹喧嘩について考えていた。  どうして私とお姉ちゃんは喧嘩しないのだろう。そんな疑問が私の頭の中をぐるぐると回っている。  怜菜は「姉妹が二人揃ったら喧嘩する」って言っていたけど、私たちにはまるで当てはまらない。それに今まで怜菜以外にも姉妹喧嘩しないなんて羨ましいと幾度となく言われてきた。喧嘩しないなんて仲が良い、とも。  でも、本当にそうだろうか。  無意識だが、私はいつもお姉ちゃんと互いに何かと譲り合っていたのではないかと思う。それこそ怜菜が言っていた残り一つのケーキだって、お姉ちゃんが食べなよと言っていた気がする。勿論、お姉ちゃんに同じことを言われた気もする。  傍から見れば、むやみに衝突しようとしない、それこそ仲の良い姉妹に見えるかもしれない。  でも、裏を返せば互いに遠慮しているということでもあるのだ。遠慮は相手との衝突を避ける手っ取り早い手段である。それと同時に自分が一歩引くことで相手と一線を画す行為でもあるのだ。  では、互いに遠慮し合っている私たち姉妹は仲が悪いのか。  いや、そういうわけでもない。私たちだって怜菜たちのように姉妹二人で映画に行くことだってあるし、ケーキだって一緒に食べる。  じゃあ、仲が良い姉妹って何なのかしら。  結論が出ないまま、私は家の玄関先に着いた。  まあ、これから喧嘩を吹っ掛ければ、答えが出るわよね。  ドアを開ける手に緊張が走る。  私はゆっくりと玄関のドアのノブを引いた。 「ただいまー」  私はいつも通りになるように気を付けながら玄関に入った。自分の家なのに緊張する。  靴箱の前にはお姉ちゃんの靴が揃えられて置かれている。でも、おかえりなさいの声は聞こえない。  こういうときは決まって、お姉ちゃんはいつも二階の自分の部屋にいる。そして、そのときのお姉ちゃんはあまり部屋から出てこない。喧嘩作戦を決行するには絶好のチャンスだ。  私はそっと靴を脱ぎ、家に上がった。靴下を履いているとはいえ、足音を立てないよう細心の注意を払って廊下を歩く。  私はリビングに入った。ここにも誰もいない。今の時間だと、共働きの両親はバリバリ働いている時間だ。いるはずがない。  さて、早速作戦を始めよう。  私は誰もいない部屋にひとまず安心して、作戦開始の決心をした。  まず、私は部屋を見渡して、お姉ちゃんとの喧嘩のきっかけになりそうなものを探した。  とはいえ、リビングは家族みんなの共有スペースだ。しっかり者のお姉ちゃんが本来自室に置くべき自分の物を置いたままにしておくわけがない。お姉ちゃんに喧嘩を吹っ掛けるのは案外、難易度が高いのかもしれない。  でも、私は諦めずに喧嘩のきっかけを探す。  奥に進んで台所に来た。お姉ちゃんは料理をしないが、念のため。少なくともこの家に住んでいるのだから、喧嘩のきっかけになるようなものがある可能性は捨てきれない。  でも、台所にあるものでお姉ちゃんが使いそうなものは……冷蔵庫か。私は冷蔵庫を開けた。  ――あれ。  冷蔵庫の中には昨日までなかったケーキの箱が入っていた。駅前の洋菓子店のロゴが側面の端に印刷されている。  そういえば。  私には思い当たる節があった。  お姉ちゃんは甘いものが大好きで、特に大学の試験期間の最終日には自分へのご褒美に必ず駅前で買って来たケーキを食べるのだ。  これは喧嘩のきっかけにぴったりだ。  私は冷蔵庫の中からケーキを取り出すと、落とさないように気を付けて箱を持ちながら階段を上がった。  二階の奥にあるお姉ちゃんの部屋は閉まっていた。毎日当たり前のように出入りするところなのに、体に無駄な力が入る。  私は息の音がドア越しに聞こえないように深呼吸した。緊張で堅くなっていた体の力が少し抜ける。  よし。  私は息を吐き切ると、ドアをノックした。  喧嘩しに来ているのにノックは違うかな、と思っていると、部屋の中からはいとお姉ちゃんの声が聞こえた。  私は部屋に入る。  試験期間が終わって約一週間ぶりに余裕のある時間を確保できたお姉ちゃんはのんびりとベッドの上で本を読んでいた。  私が部屋に入ってきたことに気づいたお姉ちゃんはゆっくり本から顔を上げる。 「どうしたの?」 「ええっと……」  ここまで来て言葉がすっと出てこない。頑張れ、私。 「このケーキ食べたいなと思ったの」  私はお姉ちゃんにケーキの箱を見せる。  勿論、お姉ちゃんは自分が買ったケーキだとわかる。さあ、どうくるか。 「ダメよ!」  お姉ちゃんはそう怒鳴った。  お姉ちゃんの怒りの沸点に達する方法を探り探りでやるつもりだったのに。私のどの台詞がお姉ちゃんの逆鱗に触れたかわからないが、手間が省けた。 「それは試験の後の楽しみに買ったケーキなのよ!」 「でも、冷蔵庫に入ってたんだよ! 名前も書いてないし」 「それでもわかるでしょ! いつも試験期間が終わった日に買って帰るんだから」 「どうせ駅前の洋菓子店で買ったんでしょ。いつだって買えるじゃない!」 「じゃあ、花鈴がこれから買いに行けばいいでしょ!」 「無理だよ! 今月のお小遣いもうないんだから!」 「知らないわよ! 計画的に使わないのはあなたの責任でしょ!」 「じゃあお姉ちゃんが買いに行ってよ! お姉ちゃんはバイトやってて私より自由にお金使えるでしょ」  その時、お姉ちゃんの言葉が詰まった。  おお、これが所謂喧嘩に勝ったという状況か?  そんなことを思いながら、反応を待っていると、お姉ちゃんは大きく息を吐いた。 「……ダメだわ」  お姉ちゃんはそう言った。  そして、先程とは一転、穏やかな顔になった。 「花鈴。やっぱり一緒に食べようか」    私はお姉ちゃんに連れられてリビングに戻った。  そして、その後はいつも通り、一つのケーキを半分に切って一緒に食べることになった。今回のケーキはモンブランだ。お姉ちゃんの大好物である。 「実は今日、サークルの同期と姉妹喧嘩の話になってね」  栗のクリームの山をフォークで綺麗に崩しながらにお姉ちゃんが言った。 「うちは姉妹喧嘩しないんだよって言ったら、有り得ないとか、どうやって生活してるのって言われちゃって。終いには喧嘩するほど仲が良いっていうから、きっと仮面姉妹なんだよとか言われたの。だから、姉妹の仲の良さって何だろうとか考えちゃってね。それで喧嘩してみようって思ったの」  何かそれ、知っている話だ。 「お姉ちゃん、その話、私と怜菜の話を盗み聞きしてたって話じゃないよね?」 「どうして私があなたとその友達の話を聞かなきゃならないのよ」  お姉ちゃんはフォークで器用に切ったモンブランの欠片をパクっと口に入れた。 「偶然、私も今日の帰り道に怜菜とそんな話をしたの」 「本当?」 「うん。怜菜に私は姉妹喧嘩しないって話したら、試しに喧嘩を吹っ掛けてみればって提案されて」 「そうだったのね。通りで様子が変だと思ったわ。普段は冷蔵庫の中にあるケーキを私の部屋に持ってくるなんてしないもの」 「お姉ちゃんこそ。私があんなこと言っても、普段ならもっと穏やかに返すでしょ」 「そうね」  すると、お姉ちゃんはごちそうさまと丁寧に両手を合わせたあとで、空になった皿を台所のシンクへと運んだ。  そして、お姉ちゃんは二人分の飲み物を持って戻ってきた。お姉ちゃんのコップには麦茶が、私のコップにはウーロン茶が入っている。流石お姉ちゃんだ。私が飲みたいものをちゃんと分かっている。 「やっぱり喧嘩なんて性に合わないわね」  お姉ちゃんが言った。 「うん。私も無駄に疲れた気分だよ。でも――」 「でも?」 「私たちは私たちの仲の良さの在り方があるってことが分かったから良かった」 『喧嘩するほど仲が良い』が嘘とは言わない。しかし、私たちは私たちなりの姉妹の在り方がある。喧嘩をしなくてもお姉ちゃんは一緒に映画を観てくれるし、ケーキだって半分くれる。私の飲みたい飲み物だって分かってくれる。  でも、これをどこか別の姉妹や兄弟に押し付ける訳でもない。そこにはそこの在り方があるのだから。喧嘩をしようがしまいが、それで成り立っているのであれば、上手くやっていけているのであれば、それでいいのだ。  私の目の前で美味しそうに麦茶を飲むお姉ちゃんを見ながら、私はそう結論付けた。                                   終
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