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どうせこの後は若者同士で飲みに行くんだろう。
あんな奴らと一緒に行ったところで、実のある話など出来るはずもない。
鈴木はせいせいしたように長い息を吐き出だした。
シャツの袖をまくり、前かがみになる。靴紐をほどいた。一日の汚れを落とすため、床に置いたアルミ缶の中から馬毛のブラシを取り出した。
脱いだ靴の表面に丁寧にブラシをかける。
三十三歳の時に買ったイギリス靴だ。もう二十年履いている。
製法はグットイヤーウェルトといって靴底の中間にコルクが入っている。
傷むとアウトソールが張替えができる、この手の靴は値段は高いが、手入れさえ怠らなければ、長いこと履けるのが特徴だ。
鈴木は靴底についた絨毯の埃もブラシで取り除いた。
次に歯磨き粉サイズのクリーナーと布を使って油性の汚れを落とす。
その後は小瓶に入ったデリケートクリームをすりこみ、革に潤いを与えてやるのだった。
鈴木は心落ち着けたい時に靴磨きを行っていた。最近はほぼ毎日のルーティンと化している。若いやつらに厄介者扱いされ、ほとほと嫌気がさしていたからだ。
十八でこの世界に飛び込んで以来、ずっと紳士服に携わり、三十五年になろとしている。
かつては一億円プレイヤーの一人にも数えられた。まさか、その自分が二十も年下の店長に顎で使われる時代がこようとは、思いもしなかった。
『洋服屋の店員なんか長くやるような商売じゃない』
バブル後の不況がもたらした大リストラにより、辞めていった先輩の台詞だ。
いまや、自分がその先輩たちと同じ年になっている。
長い景気の低迷にあえぐ小売業。
新規参入の海外ブランドと鎬を削る。ファストファッション、量販店との価格競争。
団塊世代が引退の時期を迎えた。背広を着る世代が減少し、残った少ないパイを取り合うのだ。とにかく供給過多。ブランドも多すぎる。
加えて腹立たしいのは経営者のトップのやり方だった。管理職を人件費の安い若手社員を登用し、ベテランを閑職に追いやった。
給与についてもしかり。販売奨励金なるものを導入し、販売員たちは給与ほしさに少ないパイを奪いあった。
シャツを買いに来た客は客ではなく、背広を買う客ばかりを追うようになった。たくさん金を落す客を、いち早く嗅ぎ分けるのだ。
結果、ヒットではなく、一発ホームランを狙う客の取り合いと化した。
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