パーフェクト・ワールド・ゼロ

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【 パーフェクト・ワールド・ゼロ 】 『私は一人の女として、オメガとして生まれてきた方を気の毒だと思っています。哀れで、可愛そう。もし私の可愛い子ども達がオメガであったらと考えるだけで眠れなくなってしまう。幸い、私の可愛い子ども達は、私と同じですけれど。  そう本誌のインタビューで語った女優・成瀬璃子は、数多のアルファを輩出している名門成瀬一族の出身だ。アルファの親族に囲まれ、アルファの生徒たちが多いことで有名な伝統校・陵女学院を卒業している彼女は、類い稀なる美貌と稀有な頭脳を持つ、この国で最も恵まれたアルファであると同時に特筆すべき点がある。彼女は、芸能界きってのオメガヘイト論者だ。――』  十七歳の息子がいるとは思えない妖艶な美女が、紙面で微笑んでいる。確かに似た顔だ。けれど、息子なら絶対にしない類の表情。向原は雑誌を閉じて、背後を振り返った。 「相変わらず、美人だな。成瀬璃子」 「言ってる内容は最悪だけどな。その掲載誌を出来損ないの息子に送り付けて来る神経も含めて」  母親によく似た面立ちを嫌そうに崩して、成瀬が椅子から立ち上がった。寮室の一つしかないベッドを占領していた向原の手の内から取り上げると、クローゼットに分厚い雑誌を放り込む。さすがに親の顔が表紙のそれをすぐには捨て難いのか。詰め込まれた雑誌は、クローゼットの片隅で山を成している。  ――この部屋に移って、まだ一ヵ月も経ってねぇのに。  三月の頭に卒寮式が済むや、在寮生は、一年生が入寮してくるに備えて、寮室を移動している。最上階の一人部屋を新しく割り振られた折にも、大量に雑誌の束を処分していた記憶があるのだが。  人のことを言えた義理もないが、捻じれた母子関係だな、と向原は思っている。 「貰ってやろうか、それ」 「え……、いや、要らないだろ、おまえも」 「要らねぇけど。置いてるだけでも、成瀬は嫌なんじゃないの」  わずかに悩むように黒髪が揺れる。けれど、それも一瞬のことだった。 「いや、大丈夫」 「そうか」  本心がどうであれ、断るのなら、それ以上を強要する気は、向原にはない。 「でも、ありがとう」  ふ、と成瀬が笑う。紙面で妖艶に微笑んでいた母親とも違う。学内で「完璧なアルファ」として振舞っているときのそれとも違う、年相応の笑顔。それを見ることが出来るのも、この部屋にいるときだけだと知っている。だから、足を運んでしまうのだろうか。 「好きで言ってるだけだから、気にすんな」 「そうやって、向原が甘やかすから」  だから駄目になるんだよなぁ、と。ぼやくように呟いたかと思うと、ベッドに膝から乗り上げてきた。ぎし、とマットレスが軋む。 「でも実は、それよりも嫌なことがあって」 「なに」 「明日の入学式の式辞」  秘密事を話すように囁いてみせた成瀬から、勘づかれない程度に距離をとって、向原は小さく息を吐いた。 「どうせ、文章はもう考えてんだろ」 「そっちじゃなくて。顔。顔、隠したらまずいかな」  母親に似ていると噂されているが、成瀬の顔は女性的なそれというわけでもない。そうかといって、男性的とも言い難い、中性的な美貌。 「まずい、というか。どうやって隠すつもりだよ。眼鏡? マスク?」 「マスクはまずいよなぁ。生徒会長として」 「問題はそこか」  「いや、でも、風邪ってことにしたら有りかな。……そもそもとして折り目の日に体調崩してる時点でアウトか」  論旨から外れていく調子に、向原は苦笑した。 「諦めろ。どうせすぐにバレる。というか、九割が中等部からの内部進学なんだから、おまえの顔も素性も知ってる奴らばっかりだろうが」 「それもそうか」 「顔隠したかったんなら、中等部に入学したときにしとけよ」  中等部の入学式。一番目立っていたのは、この男だった。向原は今でもよく覚えている。大女優の母親譲りの美貌と凛とした瞳。主席入学者として壇上に上がった成瀬に百名近い新入生が目を奪われた。  陵学園のアルファと言えば、真っ先に名前の挙がる男。向原も、あの事件さえなければ、成瀬がアルファであると信じて疑うことすらなかったはずだ。 「そのときは、そこまで思ってなかったからなぁ」  懐かしむように成瀬が視線を窓に向けた。ブラインドが下げられているから見えないが、外には櫻寮の寮名にふさわしい桜の大木がある。 「でも、それもあと一年か」  ひとり言の調子で呟いて、成瀬が立ち上がる。 「あっというまだった」 「なにが?」 「高等部に入ってからの二年間も、中等部での三年間も。おまえと初めて会った時は、こんなふうに一緒にいるようになるなんて思ってなかったし」  ふ、と成瀬が微笑んだ。 「向原には感謝してる。本当に」 「あと一年、終わってから言えよ、そういうことは」  あと一年。この鳥籠のような全寮制の学園を卒業したら。そのとき、隣にいるのだろうか。感傷を押し隠すようにぞんざいに答えた向原に、成瀬が目を細めた。 「なに?」 「ん? 向原のつがいは幸せだろうなと思って」  機嫌良く応じた成瀬に、向原は小さく息を詰めた。運命の、つがい。アルファとオメガの間に存在すると言われている絆。 「おまえのそういうところ、母親に似てるよ」 「どこが?」 「そういうところは、そういうところだよ」  心底嫌そうに柳眉を上げた成瀬に、気が付かれないように小さく笑った。残酷で、無邪気で、他人の機微に疎いところ。  俺が、どれだけ我慢して、五年間、この場所にいたのか、きっと一生こいつは知らないのだろう。知らないままで、いつか俺に運命のつがいが現れたその時も、無邪気に祝福するのだろうと、ただ思った。  その、親友の顔で。
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