パーフェクト・ワールド・レインⅥ

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「なんで黙ってたんだよ」  最上階に足を踏み入れたタイミングで聞こえた声は、いつも感情の抑制を利かせている後輩にしては珍しい、きついものだった。 「どうせ成瀬さんは知ってたんだろ。それとも、あの人には言えても俺には言えないって、そういうこと?」  その声は成瀬の部屋から響いていたが、下級生しかいないようだった。様子を見てきてやると言った手前、介入してやるべきか。  悩んだ時間は短かった。言葉の応酬は続いているが、榛名のほうがよほどひどい。それでも皓太が手を出す気配は感じられなかった。問題ないと決めつけて、渦中の部屋を通り過ぎる。扉を閉ざしていても、甘い香りはあふれ出ていた。  発情期のオメガのフェロモンを密室で浴びていることを思えば、立派な態度だ、と半ば場違いに感心する。いっそ健気と言っていいほどだとも思った。残り半分の感情は、呆れでしかなかったけれど。  この世界では、ヒートのオメガをアルファが襲ったとしても不可抗力だと解される。アルファがいる場所で不用意に発情して誘ったのだから、しかたがない。相手が複数でないだけマシだと、そういったふうに。  アルファが薬を飲んでオメガに配慮してやろうとする「ここ」が異常なのだ。  そうだ。自身に言い聞かせるようにして、向原は繰り返した。ここは異常だ。  時間をかけて成瀬がつくりあげた、異質な楽園。その異常に異を唱える人間がいなかった今までがどうかしていただけで、これから「ふつう」に戻っていく。  充満する甘い匂いの中を、向原は迷わず進んでいく。どこが発生源なのかわからなくなりそうな濃度だったが、本能が背中を押していた。  この先にいる。
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