束の間の用心棒・前

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束の間の用心棒・前

「それでは女将さん、今日はこれで上がります」  蕎麦屋「あづま」。  帰り支度をする紘子に、女将の千代は前掛けで手を拭き吹き小袋を用意する。 「そうだった、今日は早めに上がるって言ってたねぇ。これ、今月のお給金。いつもありがとうね」 「ありがとうございます」  紘子は給金の入った小袋を受け取ると、小さくお辞儀した。 「お紘ちゃん、これから泉町(いずみちょう)の方に行くのかい?」 「はい、手習い用の墨を買いに」 「そうかいそうかい」  千代は店の奥の銭函(ぜにばこ)から小銭を掴んでくると、紘子の手に乗せる。 「お紘ちゃんはいっつも余計な買い物しないだろう?たまには自分のためにお給金を使えばいいのにさ。でも、それが出来ない性分だってのをあたしゃ良く知ってるからね……団子一、二本くらいにしかならんけど、お駄賃だよ」 「そんな、申し訳ないです!」  紘子は慌てて押し返そうとするが、恰幅のいい千代に力で敵う筈もない。 「いいんだよ、もらっときな!ほら、早く行かないと日が暮れる前に帰ってこられなくなるよ?泉町の方はあまり柄の良くない食い詰め浪人がうろついてるって聞くし」  半ば追い出されるような形であづまを出た紘子は、もう一度千代に礼を言った後泉町に向かって歩き出した。  あづまを出て間もなく、紘子は重之介とすれ違う。 「あれ?ひろじゃないか」  先に気付いたのは重之介の方だった。 「あ、重之介様」  紘子がお辞儀をすると、 「これからおばちゃんとこで蕎麦でも食おうかと思ってたんだが……今日はおばちゃんの手伝いはないのか?」  と重之介が問う。  最近の重之介があづまに通うのは、単に腹を満たすためだけではなくなっていた。  ランダムシフトで神出鬼没の紘子が目当てでもあった。  算術に加えて読み書きも出来るというのに単なる町娘と言うには少々無理がある。  元々は名のある武家の娘、それもかなりの英才教育を受けられる家柄で、何か事情があって町人に身分を落としたのだろうと考えるのが自然だ。  重之介はそんな紘子の事がもう少し知りたかった。 「今しがた上がったばかりです」 「そうか」 (何だ、つまらんな……)  紘子の答えに内心肩を落とした重之介だったが、どこかそわそわと急ぐ素振りを見せる彼女が気になった。 「何だ?何か用事でもあるのか?」 「はい、泉町の方まで買い物に……」 「……泉町?」 (泉町となると、この時分からじゃ日暮れまでに帰ってこられるかどうかだな。こんな細っこいおなご一人で行かせるのは……あっちは江戸から流れてきた浪人の溜まり場になってるしなぁ……丁度いい、付き合うか)  重之介は思い直し、にっと笑う。 「よし、俺も行こう」 「……え?あの、これから昼餉(ひるげ)ではないのですか?」 「そのつもりだったが、気が変わった」  紘子はすまなそうに頭を振った。 「お腹が空いてらっしゃるのにお付き合いさせるわけにはいきません」 (お前だって食ってないだろう?)  あづまの仕事を早めに切り上げて泉町まで買い物に出る……帰りの刻限を考えたら、紘子だって昼餉の時間などなかった筈だ。 (さて、どうやって納得させるか……)  ほんの数瞬考えた後、重之介は返す。 「泉町の団子が食いたくなった」 「……団子、ですか?」  呆気に取られたような顔の紘子に、重之介はしてやったりと笑顔を見せた。 「ああ、何度か行った事のある団子屋があるんだよ。あの店は年中蓬団子を出してくれる。俺の知る限り、春でもないのに蓬団子が出せるのはあの店だけだ。どうだ、買い物ついでに案内してやる。それにあの辺りは物騒だ。この通りその日暮らしの浪人だが、連れて歩けば刀をぶら下げてる分ならず者を避けるのに役立つと思うぞ?」 (確かに、お侍様がお側にいれば安心かもしれない。それに、女将さんにお駄賃も頂いたし、折角だから……)  紘子は困ったような笑みを浮かべながらも 「では、よろしくお願いいたします」  と頭を下げる。 「よし、そうと決まれば急ぐぞ。もたもたしてると日が暮れる」  泉町の墨屋で買い物を済ませた頃には、既に陽が西に傾いていた。 「団子屋も店じまいしちまう。ひろ、急ぐぞ」 「は、はいっ」  歩幅を広げる重之介に紘子は小走りでついていくが、突然重之介が足を止める。 「っ!」  思わず彼の背にとんとぶつかった紘子に、重之介は 「おっと、すまんすまん」  と謝ると、何の気なしに紘子の手を取った。 「おなごの足で男についてくるのは難儀だよな。引っ張ってやるから、もう焦らなくていいぞ」 「え、あ、あの……」  いきなり手を繋がれ、紘子は完全に面食らう。  だが、そんな紘子の戸惑いなどお構いなしに重之介は団子屋に進むばかりだ。 (このお方は、一体私を何だとお思いなのだろうか?外で女人と手を繋ぐ事を何とも思わないのだろうか?)  嫌ならば振り払えばよいだけの事なのに、何故か紘子にはそれが出来なかった。 (重之介様は何事も己の思うままになさる方なのかもしれない。私ときたらすっかり意のままにされてしまっている。けれど……) 「……温かい」 「ん?何か言ったか?」 「い、いいえ!」 (……この気持ちは、何だろう?私は……)  繋がれた手を、振り払うどころかそっと握り返してしまう。  誰かの温もりを求めている……そんな本音から目を背けて。    重之介は「だんご」と書かれたのぼり旗を掲げる屋台の前でようやく足を止めた。 「やっと着いた。おばちゃん、蓬団子ちょうだい!」  重之介が声を掛けると、腰の曲がった老齢の女主人が笹の葉に蓬団子を包んでよこす。 「二串でいいかね?」 「えっ、俺今日そんなに手持ちないよ。一本でい……」 「二串下さい」 「ひろ!?」  重之介がはっと横を見ると、紘子が小袋から小銭を出して女主人に渡したではないか。 「へい、まいど」  団子の包みを受け取った紘子は、小さく頭を下げながらそれを重之介に差し出す。 「あの……あづまの女将さんにも聞きました。この辺りは少し前よりも物騒になったと。お団子、用心棒の手間賃としてお受け取り頂けますか……?」 「まぁ、しっかりした娘さんだこと。そうそう、最近本当に浪人が増えてねぇ……。お侍さん、受け取っておやりよ」  女主人もニヤニヤしながら二人に首を突っ込んできた。 「何だよ、参ったな」  重之介は苦笑しながらも団子を受け取ると、女主人に挨拶をして再び紘子の手を引く。 「さて、暗くならんうちに帰るか」
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