覗き色

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事務所での俺の仕事は簡単な雑用からお客さんの相手、依頼のちょっとした手伝いなどだった。 そしてタカハシさんの言っていた通り、依頼の内容は本当に様々だ。 ペットが居なくなったから探してくれと言われた時は街中を探して回ったし、恋人が浮気しているか調査してくれという依頼の時は刑事ドラマみたいに張り込みじみたこともした。ペットは案外すぐ近くで無事見つかったし、張り込みごっこも短時間で終わったけれど。 後はそう、あのごちゃついた部屋の片付けとかも俺の仕事のうちになった。書類整理とかファイルの片付けは勿論なのだが、いつしか彼の生活スペースの整理整頓も空き時間にするようになってしまった。 空になったカップ麺のゴミ捨てとかしわくちゃに投げ捨てられた服の洗濯とか。 初めはそこまでやらなくていい、事務所の掃除は応接室まででいいとタカハシさんに止められたけれどそこは俺の性が譲れなかったのだ。 気付けばタカハシさんも何も言わず、寧ろ自発的にゴミを自分で捨てるまでになっていた。たまにだけどね。 そうして俺が事務所でのバイトに慣れ始めたある日のこと。 「今日もお疲れ様でした」 「はぁいお疲れ様でーす」 「じゃ俺はこれ、で?」 相も変わらず片付かない書類やらファイルの山。俺がどれだけ綺麗に整頓したって、たった数日で彼はこんな風に元に戻してしまうのだからある意味すごい。 確かにゴミを自分で捨てるようになったのは良いけど、だからってすぐに片付け上手になれる訳がなかったのだ。 まぁその辺の整理は次に来た時でいいかなと思い帰ろうとしたその時。袖がくんと後ろに引っ張られる感覚がして足が止まってしまった。 「しまった、やらかした」 「何ですか?まだ仕事残ってました?」 聞いても、タカハシさんは俯いたまま答えない。今日はぽっちゃり体型の上品そうなおばさんの風貌なのに、声だけはいつもの彼のものに戻っているのでやはりちぐはぐだ。お客さんの前では驚く程自然におばさんの声音だったのにな。どう使い分けてるんだろ。 まぁ俺もそのちぐはぐさにももう、慣れてきてしまっているんだけど。 じいっと離されないままの袖口を見ていると、その指がきゅっと力を込めたのが分かった。 俺は鞄を持ったまま、両手でその手を包み込んだ。宝石の付いた指輪をたくさん着けているからか、ちょっとごつごつしている。 俺の行動に少し驚いたらしいタカハシさんだが手はそのままにして、今は真っ赤に潤う分厚い唇を開いた。 「きみは何も訊かないんだな」 「何も、とは?」 仕事のこと?やっぱりまだ至らない部分があったのだろうか?それとも俺が知らないだけで、何か失敗していた? つらつら考えてみるけれど、思い当たる節は無い。だけど彼から放たれるいつになく真剣な雰囲気から、そういうことではないのだと察した。 「何でもないよ。お疲れ様」 「おつかれ、さまです」 彼はパッと手を離すと俺の背中を扉まで押して、にこりと微笑んでみせた。 その笑顔に寂しそうな色が見えた気がするけれど同時に、触れてはいけない何かも感じ取ってしまって。 俺は戸惑いながらも事務所を後にした。 何だろう。何もかも謎だらけであの人のことについて俺は何も知らないけれど、ここに来て漸く何か「本当」を垣間見ることが出来たような…そんな気がした。 もし…。 もし俺が望んだら、あなたはあなたのことを教えてくれるんだろうか。
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