覗き色

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「あなたの本当の姿が知りたいです」 「そこの書類取って」 「やっぱり嫌ですか」 「これまとめといて」 「分かりました。じゃあもう訊かないでおきます」 やっぱり駄目か。分かっていたのに、頭のどこかで期待していた分落胆している自分がいる。 無理をして探ろうとは決して思わない。けれどだからと言って、全く興味が無いと言えば嘘になる。 いつから俺は、こんなにもこの人のことばかり考えるようになってしまったのだろう。というかこの人だって、こないだは訊いて欲しそうにしていた癖に。 渡されたファイルを受け取って言われた通りの雑務をこなしながら、今日は来客の予定が無いからとラフな格好の彼を横目で見た。 ラフな格好って言っても相変わらず本当の姿ではないらしい。いつか見た、俺をバイトに誘ってきた時と似たような若い青年の姿をしている。 違うのは空のように青かった瞳が今は真っ黒だということ。黒髪に黒目の、少し顔の整った大学生のような風貌だ。 その姿ならばいつもの声音と口調もしっくりくるが、それでも…。 近い。 だけどきっとこれも「違う」。 黙々と紙の束から目を離さないその人はわざとなのか本当に集中しているのか、俺の視線なんてお構い無しに作業を続けている。 あの日どうして俺の袖を掴んだの。 何か、言いたいことがあったんじゃないの。 ぐるぐると巡る思考を振り払おうとも思えず、俺の視線は彼の手の中にある紙の束とその人の真剣な眼差しを交互に行ったり来たりしていた。 「りょうくんやい」 「あ、はい。何でしょう」 「またアレ持ってきてくんない。あの、かぼちゃのやつ」 「煮物ですか?了解です」 カップ麺やらコンビニ弁当ばかり食べているらしいタカハシさんに、たまに気紛れで差し入れしていた俺。どうやらその中でもかぼちゃのものが特にお気に入りらしい。 何をあげても美味そうに頬張るもんだから嬉しくてつい色んなものを差し入れてしまっていたけど、正直迷惑になっていないか心配してたんだよなぁ。良かった、どうやらそれは杞憂だったみたいだ。 「それから、さ」 「はい?」 「………水菜のやつはちょっと苦手」 意外だ。この人にも苦手なものがあったなんて。毎回綺麗に完食してくれるから分からなかったけど、この人にも好き嫌いがあったんだな…。 しかし珍しい、こんな話を自分からしてくれるなんて。 どうして突然…? 「あ」 「え、なに」 「もしかして、気使ってくれてます?」 俺が、本当の姿を知りたいなんて言ったから?変装は解かないでも、少しずつでも自分のことを話そうとしてくれてる? まじまじと黒いその瞳を眺めていると、彼はそれに応えるでもなくしれっと返した。 「好きに解釈すれば」 「じゃあそうしますね」 お客さんへの対応とかご飯の食べ方とか変装の細かさとか。色んなところで器用な人だと思っていたのに、実は結構不器用な人なのかも知れない。まだまだ謎だらけだけど、可愛い一面を発見してしまったかも知れないな。 そう思うとふっと自然に頬が緩んでしまった。 「好きに解釈すればとは言ったけど…曲解されるのは何だかなぁ」 「好きに考えていいんでしょう?別におかしなことは考えてませんよ」 悪びれもせずにしれっとそう返すと、タカハシさんは漸く紙の束から視線を外して俺を見た。 今は黒いその瞳の中にはただ、平凡な顔をした少年が映り込んでいる。 椅子から立ち上がってどんどん近付いてくるその瞳にぼうっと見入っていると、その鏡はやがて俺の真ん前で止まった。彼は中腰になって、椅子に座る俺に目線を合わせ無言でじいっと見つめ続けてくる。 その瞳が何を言いたいのか予測も付かないでただ戸惑っていると、今は何のリップも塗られていないその薄い唇がそっと開いた。 「きみには、おれがどう見えてるの」 「どう…?」 どう、とは? 黒髪黒目のちょっと顔が整った大学生くらいの青年。見た目だけで答えるならばこうだ。 だけどもっと、違うことを問われているような気がして俺は答えに詰まってしまった。正直に言うならば、訊かれた瞬間に頭の中で既に答えは出ていた。 しかしその答えを、俺が感じたそのままを彼に伝えていいものか分からなくて、言うべきかどうか迷ってしまったのだ。 そんな俺の迷いなどお見通しなのだろう。黒い双眸を緩く歪ませて彼は微笑った。 楽しそうでも安心させるような笑みでもない、それはどこか相手を脅すような鋭い笑みだった。 「思ったままを答えて。きみには答えがあるんだろ」 「そう見えますか」 「言っただろ、探偵なんだから相手の考えくらいちょっとは分かるって」 「本当に分かっているなら、俺が答える必要ありますか」 「答え合わせみたいなものだよ」 ふっと薄い唇が弧を描くのを間近で見ながら、逡巡の後俺は答えた。 「…迷子のように、見えます」 「迷子」 「ずうっと迷ってる、在るべき場所を探して迷ってる…ように見える」 「それ、本当?」 「探偵なら、相手の嘘くらい見分けられるんでしょう?」 「あぁ、きみはとても…意地悪だね」 黒い髪をさらりと掻き上げて、彼はやはり寂しそうに微笑った。ぱちりと瞬きするその長い睫毛が白い頬に影を落とす。 その色も長さも、顔立ちも。 どれが本当でどれが作り物なのか俺には分からない。だけどこの人がどんな格好でどんな風に振る舞っていたって、俺は見つけてしまうのだ。 その理由なんて俺にも分かりはしないのに、見つける度に安心するんだ。 安心して、なのに瞳を覗き込んで、やっぱり違うと勝手に落胆する。俺は何を求めていて、何に期待しているのだろう。 やがて先程までの真剣だった表情がまるで嘘のように、タカハシさんは大きな欠伸をしながら体操するように腕を伸ばした。 ついでに「あーあ!」と突然今までにない大声を上げるもんだから、俺は思わず肩を跳ねさせて驚いてしまった。 「なぁんか馬鹿馬鹿しくなってきちゃったなぁ!どんなカッコしてたってどうせきみの前では全部同じに見えてるんだろう?」 「や、別に全く同じ姿に見えてる訳じゃあないんですけど」 「でも、おれだってすぐに分かっちゃうじゃん」 「分かっちゃダメなんですか?」 「………」 「タカハシさん」 「ちがう」 「タカハシ…さん?」 「今は…呼ばないで」 呼んじゃダメなのか。 それとも本当は、あなたは。 「あの、」 「ゴメン。今日はもう帰って」 背を向けられてしまっては表情すらも分からない。 俺は大人しく指示に従って、鞄を持って事務所を後にした。あぁ仕事、まだ途中だ。そんなことを頭の片隅で思い出しながら少し急な階段を下りて、事務所の窓を見上げる。 ブラインドで遮られていて中なんて見えやしないけれどそれでも、ちょっとでもあの人の姿が見えはしないかと消えない期待を抱いて。 「…ダメじゃない」 あの人はきっと迷ったままだ。 どこに居て、どこを目指して歩いているのか俺には分からないし、きっとあの人にも分からないのかも知れない。 それでも俺はあなたを探すし、どこに居たって絶対見つけられると思う。 何でって、ただ俺がそうしたいから。 「…ダメじゃないんだよ、凛陽」 なのに人並みの聴力しかない俺には、あなたの小さな本音を拾うことは出来なかった。
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