覗き色

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何とかして物を退けたソファーベッドで二人して座って、透羽さんはぽつりぽつりと話をしてくれた。 「花をね、プレゼントしたんだ」 「花を」 「そう。青い花と、白い花と、それから淡いピンク色の花が混ざった小さな花束。種類は分かんなかったけどね、お小遣い貯めて初めて自分で買ったんだよ」 誰に渡したのだろう。懐かしそうに目を細めるその表情はやけに大人びていて、花束を渡したその時からもう随分と時間が経っているのだろうなと思った。 「喜んで、くれましたか」 「それはもう。花よりも綺麗に目一杯微笑んで、頭を撫でてくれた…気がする」 「良かったですね」 「…うん。そう、だよ。そう。おれはただ笑っていて欲しかったんだ…」 「笑っていますよ。今もきっと」 渡した相手は分からない。でも何となく検討はついた。 その人は、今俺の目の前で瞳を潤ませているこの人のように色白だったんだろうか。癖っ毛だったのかな。瞳は青かったのだろうか。日本人、なのかな。 分からないけど、きっと彼は母親似なのだろう。分からないけど。 じいっと観察するようにぶつけていた視線に、黒くも茶色くも無い視線が絡まった。透明な青が、窓からの柔い陽射しに反射して僅かに煌めく。 「きみは…」 「気味が悪い、ですか?」 「いや、とても…無責任だね」 「そうかも知れませんね」 思わずふっと息を漏らして笑ってしまった。あぁ、否定できないな。 だってその人の気持ちなんて、笑っているか泣いているかなんて、俺には知りようもないから。 でもさ、だったら、少しでも自分に都合の良い考えをしたっていいんじゃないかなって。そう思ったんだ。 ただそう思って欲しくて、俺もこの人に笑っていて欲しくて無責任なことを言った。 それを咎めもしないで彼はまた薄い唇を開き、言葉の続きを紡ぐ。 「でも」 「でも?」 「きみはとても、」 心地好い。 そんな言葉、本当に初めて言われたなぁ。 おかしな人だと今まで何度も思ったけれど、こんな言葉を余りにも嬉しそうに言うもんだから。 あぁこの人は本当におかしな人だと確信してしまって、俺も可笑しくなってまた笑ってしまった。 灰色の床にまた濃い染みを一つ二つ作りながら、頬を歪めて笑ってしまったんだ。 ほうらね、心地好い。 まるでそう言うみたいに身体を引き寄せて頭を緩く撫でてくるその体温の方が俺にはずうっと心地好く思えたよ。 だけどそんな事を言ってしまったらきっとこの人は調子に乗ってしまうから、それはちょっと癪に障るから。そのことについては今は黙っていることにしようと思う。 今は、ね。 「ねぇ透羽さん」 「なぁに凛陽くん」 「綺麗事言えなくてごめんね。俺醜いかも知れない。…ごめん」 寄せられた胸元に顔を埋めてしまえば漸く見られた本来の姿は見えないけれど、僅かに香る匂いが不思議と安心感を与えてくれる。 背中に回された手の温度と相俟って心地好さに目を閉じそうになってしまう。それでも今、聞いて欲しくて。 「どうしてそう思うの」 酷く穏やかな、優しい声が振ってくる。変装していなくてもそのままだったその声をまた愛おしく感じながら、心地好さに甘えて俺は言葉を続けた。 「だって俺は…」 どんな姿でもあなたはあなただ。 それは変わらないし、あなたがあなたである限りそれがとても愛おしく好きだと思う。 けれどやっぱり、この姿がいい。 俺はやっと見せてくれた、どこまでも澄んだこの姿がいいんだ。何者にも成り済ましていないありのままのこの姿がいいんだよ。 「どんな姿でも透羽さんには変わらない…。そんなことは分かってるけれど、でもやっぱりこの姿がいい。これが一番、安心する」 「これがいいの?」 「これがいい」 「何もつけてないよ」 「要らないよ」 「髪も瞳も顔の形も、仕草だって、おれのまんまだよ」 「それがいいんだよ」 「そっか。それじゃありょうくんは…メンクイなの?」 「………は?」 予想外の返答に思わず眉を顰めて顔を上げると、そこには不思議そうに首を傾げた綺麗な顔があった。 それほど長くない癖に、彼が首を傾けると色素の薄い絹のような髪も一緒にさらりと揺れる。 底に澄んだ水のような色を携えた瞳が、真っ直ぐに俺を捉えていた。 「いや、おれって結構美形じゃん?それって結局美女と野獣みたいなことになんない?」 「何言ってんだこの人…」 何だろ、確かにこの容姿が美しいってことに異論は無いけれど、何だか無性に殴りたい。心底不思議だと訴えてくるそのカオ…見れば見るほど腹立つな。 俺も他人のこと言えないけど、この人本当…ちぐはぐだな。 「だってそうでしょ、おれが不細工でも同じように言った?」 「アンタの外見は知らないけど、中身は結構不細工だと思うよ。…今実感してる」 折角「本当」を見つけられたと思ったらすぐコレだ。そんなにご不満なら今すぐ顔の形を変えてやろうか。 あぁでも、この人ケンカ強いんだっけ。じゃあ俺なんてすぐに伸されて終わりだな。 なんて、本当に殴りはしないけどさ。 「変装してない姿で不細工だなんて初めて言われた。まぁ長年誰にも見せてなかったんだけど」 「はぁ…。腹立つけど、アンタはキレイだよ。中身は置いといて」 「置いとかないでよ。というか、それじゃあやっぱり矛盾しない?」 「矛盾してたっていいの。それでいいんだよ。俺は思ったことをただ綴るから、例えそれが矛盾ばっかりでもいいんだ。もしそれで傷付くようなら教えて、直すから。でも俺、頭良くないから。話すのも、慣れてないから。思ったこと、感じたことそのまま伝えてまた傷付けちゃうかも知れない。だからそうなる前に、ちゃんと教えて」 今度はしっかり顔を見つめたまま、思っていることをちゃんと伝える。俺が話す度に相槌を打つように目をパチパチさせながらも、透羽さんは真剣に俺の言葉を拾ってくれた。 やがて俺が話し終わったのを確認してから、彼の唇が開いてふっと息を漏らす。 「迷子って言ったコト気にしてるの?」 「して、ない」 また頭上で笑うような息遣いが聞こえて、俺はムッとなって目を細めた。それでも彼は楽しそうににやりと笑って俺の髪を梳いては弄ぶ。 「りょうくんに傷付けられた覚えは無いけど…。あぁ、クソめんどくせぇクソガキはちょっと傷付いた」 「…事実じゃんか」 「ぶふっ、否定しろよ」 「そこは撤回しない。だってアンタめんどくせぇもん」 「ブーメランー」 「うるっさいよ」 だって本当に面倒臭いんだもんな。確かにあの言い方はマズかったかも知れないけどさ、結構的確に言い当ててると思うんだ。 頭を撫でる手は止めずに、透羽さんは続ける。普段は子供っぽい癖にこういう時ばかり大人っぽい余裕を見せるの、ズルいと思う。 「おれもきみなんかよりずうっと話すの慣れてないから教えられるか分かんないけど、きみは優しいからその点は心配要らないと思うよ。でもまぁ、お互いに練習は必要かもね」 まだ言いたいことがあるんでしょう、そう言って頭を撫でていた手が頬へ下りてきて、するりと輪郭をなぞる。子供扱いみたいだから止めてよって思うのに、その指先の感触がやけに気持ち良いとも思ってしまって。 それが合図みたいになって、堰を切ったみたいに言葉が出てきて止まらない。俺の感情が、この言葉たちがどうかあなたを傷付けていませんように。 そう願うのに綴ることをやめられなくて、ただ音を言葉へ紡ぎ続けた。 「何ていうか、アンタの顔が美形だってんなら俺は別にメンクイでも何でもいいよ。俺が言いたいのは、本来のこの姿がいいってこと。今まで隠されてるの結構嫌だったんだ。俺はただその瞳を、本当の色を見たかったんだ。あなたをちゃんと見たかった。…意地悪しないでよ」 反応が無い。暫く続く無言の中、意地悪なその人はやっぱり意地悪そうに唇を歪めて俺を見下ろしていた。俺を映す淡い水色。 その本来の色を携えた瞳がさっきよりも潤んで見えたのは光の反射のせいかも。分かんないけど、きっとそうだ。 「ふっ、きみは結構口が悪いね」 「るっさい…」 「キレイだよ、凛陽」 「そういうアンタは不細工だよ、透羽さん」 「結局どっちなの」 「性格不細工」 「ふふっ、でも好きでしょう?」 「どうだろ。探偵なら見抜いてみてよ」 ろくに片付けも出来ない意地悪な性格不細工の癖に。生活能力皆無の不器用野郎の癖に。 ずっと迷子みたいな瞳をしていた癖に。 それなのに。 ふわりと花のように微笑って、あまりにも蕩けた瞳を向けてくるものだから。無垢な子供みたいにきらきらとした光を振り撒いて頬を優しく撫でてくるもんだから。 俺もつい絆されてしまって、また近付いてくる温度を唇に受け取った。
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