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「こんにちは、お待ちしておりました。えぇと、貴女がご依頼された、」
「こんにちは、佐川です。あらぁ、今日はあの美人な秘書さんではないのね」
ほらあの背の高い、と上品な仕草を交えて女性が付け足す。
それは言わずもがな…きっとタカハシさんなんだろうなぁ。あの人一体何人に成り済ましてるんだろう。どこぞの怪盗みたいだ。
ある快晴の日曜日。日傘を折り畳みながら時間通りに事務所に訪れた中年の女性を二階までエスコートしながら、ぽつりぽつりと会話を交わす。
あの部屋に自分以外を入れたのは初めてだと、俺を事務所に案内したあの日彼は言った。推測だけど彼は今まで一人でやってきたんじゃないだろうか。
実際はどんな人にも成れるあの人のことだから、何人ここで働いていることになっているのかは検討も付かないが。
「あー、えと、今日は俺…私が案内します」
「まだお若いみたいだけれど、バイトさんかしら?」
「まぁそんなところです」
初めて事務所を案内された日から俺のバイトは始まった。そしてこの日は、事務所の掃除以外の初めて仕事。初めての接客である。
楽にしていいとタカハシさんからは言われたけれど、他にバイト経験も無い俺は少し緊張してしまっていた。だからなのか、扉を開けてすぐに聞こえてきたその声に安堵してしまったのも無理はないと思う。
「うちの助手ですよ、佐川様」
声も話し方も全く知らない人のようだけれど、その言葉がその人のものだとすぐに分かった。
背後から気配も無く現れたのは美人な秘書さんでもチャラい大学生でもない。
スーツを着た、少し中年の男性だった。硬そうな黒髪に白髪が混じり、髭こそ生やしてはいないが四十代か若くて三十代後半に見える。
瞳の色は黒で、少し太い眉。顔立ちはどちらかといえば整っている方だが、頗る良いという訳でも無い。ちょっと人の多い場所に行けばすっぽり紛れてしまえそうなくらいだ。背の高さだけはやっぱり自前みたいだけど。
…というか、紳士の姿がブームなのかな。前会った時もそうだったし。
「えぇと貴方は…そうだ、貴方がタカハシさんだったわね」
突然現れた紳士の姿に驚くこともなく、依頼主である女性はにこりと微笑んだ。
なるほど、この人の前ではこの姿で通してるのか。覚えておこう。
疑うまでもなくこれも変装した姿なんだろうけど、他の依頼人の前でもこの姿で通してるのかなぁ。
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