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──出来事の初めは、あのクリスマスに遡る。
刃は蓮の告白を断った。それは仕方ないことだと思えた。だって刃の心は既に決まっていたのだから。
だから、蓮も覚悟を決めていた。
「……ごめん、蓮。今、なんて言ったんだ?」
念の為に刃はもう一度聞いてみる。聞き間違いであることを信じたが、彼女、東蓮は真っ直ぐ刃を見据えていた。
それだけでわかる。彼女のさっきの言葉が嘘偽りなく本気の言葉だと。
「……本気だよ。刃にフラれたら、私はこれを飲んで……死ぬ」
その手にあるのは小さな小瓶。中には毒々しい色をした液体が入っている。それが何なのかは聞かなくても想像がついた。
「……なんで、なんでそんなことを言うんだ、蓮。そんなことしたって……意味ないじゃないか」
「意味はある。刃が、恋人になってくれる」
「でも、好きにはなれない!」
「……わかってる」
思ってもみなかった。まさか蓮が自身の命を天秤にかけるなんて。嘘や冗談という様子でもない。彼女は本気だ。
でも、心無い状態で付き合ってもお互い傷付くだけだろう。どっちにしても幸せになんかなれない。だがしかし、付き合わなければ蓮が死ぬ。そんなの、選べるわけが無い。
どうすればいいか分からず立ち尽くす刃に、蓮は優しく微笑んで、
「……だから、期間限定の、恋人になって欲しいの」
「………………は?」
思わず俯いていた顔を上げた。今、彼女はなんと言った?
「……詳しい説明は明日、皆を刃の家に呼んで話したい。それでもいい?」
「え、あ、いや、その前に期間限定ってどういう……」
「それも含めて。だから、今は私と付き合ってくれるかだけ、答えて欲しい」
ほぼ脅しだ。だが、ここで従わなければ蓮が死んでしまう。小さく刃が頷くと、蓮は笑って携帯を操作した。
☆
「さて、説明してもらおうか、蓮」
次の日、蓮に対してそう切り出したのは流斗だった。
刃の家に集まったのはいつもの幼なじみ4人と三条亮、それに姉の美瑛、それから翔矢の彼女の凪。だが、何時にもなく空気は重く、誰1人として口を開こうとしない。いつも軽口を叩く翔矢でさえ、笑顔の1つすら見せないのだ。ちなみに藍は光の家に預けてある。
しかし、今まで一言だって話さなかった流斗が、蓮が入ってきた瞬間に表情を一変させた。
──彼女の喉元に、自らのI’temの剣先を向けながら。
「お、おい流斗!? 何を──」
「黙っていろ、今は蓮と俺が話をしてる」
幼馴染の彼等にはわかる。今、流斗は怒っている。それも今までに見た事がないくらいには。
「……お前が来る前に、少しだけ話をした。刃は話したがらなかったが、俺が無理やりに聞き出した。お前が来たら話すという話だったからそれは詫びよう。だがな」
少しだけ、流斗が持つ剣の先が蓮の喉に刺さる。
「……お前がこれ以上、俺の大事な仲間の気持ちを踏みにじるなら、俺がお前を殺す」
『!!?』
混じり気のない殺気であることは誰もが分かった。だが、こんな状況であっても蓮は相変わらず表情を変えない。
「自らの命を人質にするとは予想外もいい所だったよ。だが、俺がお前を殺してしまえば、そんな手は使えなくなるよな」
「り、流斗!? お前何を──」
「……私の話を聞いて、納得できなかったら、殺してくれて構わない」
止めようとした刃の言葉を待たずに放たれた蓮の言葉に、流斗は少し眉を跳ねた。
「……考えがない、という訳じゃないんだな」
「うん」
しばらく睨み合ってから、流斗は剣を下ろして着席した。周りも安堵の息を漏らす。
「じゃ……じゃあ蓮、話してくれるか? 何であんなことをしたのか。それから『期間限定の恋人』ってどういう事なのか」
「……それを話す前に、確認したいことがあるの」
「何をだ?」
「……刃と光は、恋人なの?」
「「なっ!?」」
唐突に問われたことに動揺したのは刃と光本人。しかし、2人はすぐに深呼吸して机の上にある入れたての緑茶が入った湯呑みに手をかける。
「な、何を言ってるのよ。わ、私と刃がそんな関係なわけないじゃない」
「そ、そうそう。俺たちはただの腐れ縁で──」
「両思いなのに?」
──ブーーーーーー!!!
「ぎゃああああ!!!」
「翔矢ああああ!!?」
刃と光、口に含んだ熱々の緑茶のダブル噴射が翔矢の顔面を襲い、急いで凪がそれを拭き取る。
刃達はというと、少し咳き込んだ後になるだけ取り繕ってみせる。
「そ、それは蓮の勘違いよ! 別に私達はそんな……わけじゃ」
「……本当に?」
と、気づいた。蓮の瞳は真っ直ぐ光を見据えている。覚悟を秘めた瞳。まるで真剣勝負を前にした戦士のような迫力すら感じた。
「……私は、光のこと友達だと思ってる。大事な、友達。だから、ちゃんと言う」
すぅ、と小さく息を吸ってから、蓮ははっきり告げる。
「……私は、刃が好き。大好き。凄く、大好き」
『……っ!』
光だけではない。刃も、それ以外の面子も、その真っ直ぐな告白に息を飲んだ。
「それが、私の本心。本当の心。ねぇ、光。私はね」
そこで蓮は一息置くと、更に声色を変えて言った。
「ここで逃げるような腰抜けに、負けるつもりは無いの」
『!?』
いつになく挑戦的な言い方。光もさっきまでの困惑の表情から、試合前に見せるような真剣な表情に変わった。
「……言ってくれるじゃない。こっちの気も知らないで」
「うん。分からないよ。分かりたくもない。欲しいものが来てくれるまで待ってるようなお姫様思考なんて」
「言わせておけば……!」
「そうだね。これだけ言われても、素直な気持ちを伝える勇気すらないんだもん。だから、腰抜けって言われても否定できないよね」
そこまで言われて引き下がる性格の光ではないことを、この場の全員が理解している。だからこそ、蓮はそれを引き出そうとしているのだ。
「……好きよ」
小さく絞り出すように発せられた言葉は、確かに全員の耳に届く。それは間違いなく、光の口から。
「あぁもう分かったわよ!!! 私は刃が好き!!! 大好き!!! これで満足なの!?」
その言葉を聞いて蓮は、
「……そっか」
臨戦態勢を解いて柔らかな表情に戻る。やっと光の本心を聞けたからだろうか。
「じゃあ刃と光は両思い。2人は恋人。それは間違いない無い?」
「え? い、いや、た、確かに私はす、好き……だけど、刃が私を好きってわけじゃ……」
「刃は光が好きだから、私の告白を断った。だから、それは間違いない」
「え? で、でもだからって恋人ってのは……性急な答えじゃ……」
「刃は、それでいいの?」
そこで渡される蓮からのパス。分かってる。ここで引き下がる訳には行かない。
「いや、俺は光が好きだ。だから、恋人になりたい」
「……っ!?」
「……だそうだけど、光の答えは?」
ほぼ退路を絶たれた事を理解し、光も覚悟を決める。
「……わ、私も、そうなりたい、です」
段々と尻すぼみになりながらもはっきりと、光は口にした。これで、大まかな決着は着いたはずだ。
「……まさか蓮。これがお前の目的なのか? 刃と光を無理やりにでもくっつけようと──」
「違うよ、流斗。私そこまでお人好しじゃないの」
「だが、現に刃と光は……」
「これで、条件は平等になったから」
その蓮の一言に、全員が首を傾げる。それを分かっているのか、蓮は構わずに続けた。
「これで私も光も、恋人になったのはほぼ同時。『幼なじみとしての時間』は敵わなくても、『恋人としての時間』なら変わらない」
そこまで言って、流斗だけはその意図を理解する。
「蓮、ま、まさかお前……刃に2人同時に恋人になってもらって、どっちが良いか決めてもらおうとしてるのか!?」
「ふ、2人同時? どういうこと?」
「つまり、蓮は刃に自分と光、2人同時に付き合うことで、恋人として相応しいのはどちらかと決めてもらおうとしているってことだ」
「そ、それってつまり……」
「そう。刃、私達と、二股して」
それはあまりに、想定外な提案だった。自分を含めての二股を提案など、想定できるはずも無かったのだが。
「そ、そんなことして何になるのよ!?」
「刃と光は昔からの幼なじみ。その時間に敵うとは思えない。でも、恋人としての時間なら条件は同じ。対等に戦える」
言いたいことはわかる。わかるのだが……。
「期限は来年の夏休みまで。それまでに刃の気持ちを私に向けさせられなかったら私の負け。潔く諦める。でも、光より私の方が恋人に相応しいと思ったら、私との未来も考えて欲しいの」
「で、でも、それでも俺が蓮を選ぶ可能性なんて……」
「やる前から諦めてたら、今までと同じだから」
その言葉で全員が理解した。蓮がこんなことを言い出したのは、ある意味では自分達が原因だ。自分達と関わったことで蓮に生まれた変化であると。
「戦う前から諦めることは、もう嫌なの」
「……なるほどね。私への宣戦布告ってわけか」
光の心中は複雑だ。蓮の変化が嬉しいものであり、困ったものでもある。
だが、その考え方は嫌いでは無い。むしろ、好ましく見えた。
「……刃がいいなら、私はそれでいいわ」
「お、おい光。良いのかよ、そんな適当な……」
「このままじゃ私も蓮も納得いかないわ。なら、とことん殴り合おうじゃない」
「……分かった。でも、痛いじゃ済まないかもよ?」
「言ってなさい。私に喧嘩を売ったこと、後悔させてあげる」
女の子同士の会話とは思えない物騒な単語が飛び交うが、2人はどこか嬉しそうだ。これでは刃が断るのも違う気がする。
「刃。蓮が指定した期限まで私と蓮はあんたの彼女よ。だから、平等に扱う事。私だけを特別視しないでね」
「……そんな余裕ぶってると、本当に後悔するよ?」
「余裕じゃないわ。ルールよ。勝負にはルールがないと成り立たないもの。で? 参加者は私達だけ?」
「……え?」
その光の言葉の後に、光と蓮の視線は亮へと向いた。
「……亮。あんたはどうする?」
「え? えっと……あの」
「亮。亮も、後悔しない道を選んで」
その2人の言葉に亮は理解した。2人は、自分にもチャンスを与えようとしてくれている。ほぼ無意識に流斗の方を見ると、彼は優しく笑って頷いた。
そうだ、ここで逃げるようじゃ、どうやったって勝てるわけない。亮も覚悟は決まった。
「わ、私もやるよ! 私だって、刃君が好きだから!」
「決まりね。あとは……美瑛だけだけど」
「へ? わ、私!?」
「うん……美瑛は、刃が好き?」
好き! 大好き! そう叫びそうになったのを必死に堪えた。
だってここでそんなことを叫べば、おそらく自分も一時とはいえ刃の恋人にはなれる。しかし同時に、刃の負担は凄まじいものになる。
「わ、私、は……」
ただでさえ刃には偽彼氏のことでこの先迷惑をかけることが確定しているのに、これ以上負担をかけるのはどうなのだろう、そう考えてしまう。
「……いいよ、美瑛ちゃん」
知らぬ間に下を向いていた美瑛は、その声で顔を上げた。
「……刃、君?」
「なんか俺が当事者なのに断れない雰囲気だしさ、2人が3人になっても4人になっても変わらないだろ。美瑛ちゃんがどうしたいかで決めたらいいよ」
諦めたように肩を落としながら、それでも優しく言う刃に、美瑛は何度目か分からない自身の心臓の高鳴りを感じる。
なんでこの人は、こんなに優しいのだろう。ほぼ脅されて首を絞められているようなこんな状況で、嘆くのではなく心配をしてくれている。
「で、でも、こんなの刃君にはなんのメリットも……」
「何言ってんだよ。仮にも美瑛ちゃんと恋人なんだぜ? ファンにとってはこれ以上ないくらいの喜びだって」
嘘つき。あの日、私とは付き合わないと貴方は言った。これは私への気遣いだ。しかも、この状況でこの言葉を言えるのは自分だけだと理解しながらの発言。全く、お人好しにも程がある。
「……分かった。じゃあ、そうしようかな」
だったら、私も言わなきゃいけないことがある。美瑛はゆっくりと光達に向き直った。
「でも、皆覚悟してね」
「な、何が?」
「私、これが初恋なんだ。だから……やるからには容赦しないよ」
その微笑みは、まるで悪魔のように。
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